第85回      備後の四ツ堂(18)

  
 福山市加茂町 「芋原津井地辻堂」

複雑に道が交差する坂の途中にあるお堂。

 北は山野町との境である姫谷から、南は四川のあたりまで、現在は加茂町だが、昭和30年までは廣瀬村であった。その村の歴史を伝えるために昭和58年に編纂された『広瀬村誌』。その中に13の辻堂が紹介されている。そのうち堂宇が現存するのは7宇である。辻堂といっても、「芋原太平辻堂」のように敷地内に個人で建立され管理されている堂も含まれているが、いずれの堂も由来や所在地も明記されており、貴重な資料である。
 今回訪ねた「芋原津井地辻堂」については次のような記載がある。『芋原東・文政2年(1819)と刻まれた美しい姿の石地蔵尊と共に1間×1間の立派な堂宇が建っている。多くの地蔵石仏・六地蔵尊が置かれ芋原地区生活の歴史がうかがえる。』辻堂境内に置かれる石地蔵は牛供養地蔵が多いのだが、この津井地辻堂の脇にある石仏に、はっきりそれとわかるものはなかった。どのような由縁をもった石仏なのだろうか。
 

堂脇には風化した地蔵尊が肩寄せ合っている。

 また『堂宇名の津井地はすぐ近くにある津井地(井戸)にちなんでつけらた名である。芋原東地区の人々は生活用水はこの井戸で求められていた。学校から帰った子供達の日課の水くみがこの井戸であった。両天秤に水桶の重さが両肩にくい込み、急坂の道で休むこともできず苦しかったことが今も語られる。』とある通り、辻堂の横の道はかなりの急坂で、身ひとつで上るのさえ老いた者には難儀なことである。水を汲む子供や旅人たちには、大切な休憩所だったのではあるまいか。
 山間僻地の集落は清水のある場所に人が住み着いたことから始まるという。芋原地区も井戸のあるここから村落が発祥したといえると村誌にある。村の歴史と誇りを伝えゆくためにも、この辻堂がいつまでもこの辻に存続し続けることを願う。
 ちなみに、今も津井地の水は絶えることなく湧き、毎年秋例祭が地区の人たちによって行われているという。変わらないでいることも、未来への歩みのひとつだと思う。


備陽史探訪の会
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