第79回      備後の四ツ堂(16)

  
 福山市神辺町八尋 「堀薬師堂」

遠目にもよく目立つ大樹と堂

 葉のよく繁った大樹を傍らに従え、きりっとした風情で立つ堂に目を奪われた。
 田圃の中ほどに位置するその堂に近づいてみると、なるほど藁葺寄棟の立派な堂であった。その風格からかなり古くからそこに所在しているように見える。須屋に安置されている薬師像も、永い歳月を感じさせる。
 しかし道沿いにあるわけでもなく、四ツ堂にしたら、なんとも不思議なロケーションなのである。果たして、四ツ堂なのだろうか。
 答えは『中国行程記』にあった。これは、1760年頃、長門国の藩士有馬喜惣太によって作成された萩から江戸までの街道絵地図『行程記』の山陽道の部分八巻を指す。参勤交代の道中案内図であり、道行きの支障なきよう、注意書きなど事細かく説明が書き込まれている。街道沿いの宿場や寺社、そして一里塚や四ツ堂などの絵も詳しく描かれている。
 この『行程記』の、まさに現在「堀薬師堂」が位置するあたりに、「四ツ堂」が描きこまれているのだ。しかも傍らに緑繁る大樹もしっかり描かれている。この堂に、間違いないのではないか。
 

かなりの歳月を感じさせるご本尊に薬師如来像

 棟札がなく、建立が水野勝成時代かどうかは不明だが、『行程記』に描かれているということは250年以上は経っている。それに水野時代との隔たりなど、四ツ堂の習俗に関してはあまり意味がないように思える。大切なのは、その場所に、人々が休み集う四ツ堂という習俗が在り続けたことである。
 勝成と四ツ堂のつながりを示す史料はあまりに少ないが、四ツ堂が備後地方に特に多いのは事実だし、『行程記』は、参勤交代の道中、四ツ堂が休み処と利用された証と言えるだろう。
 山陽道沿いに描かれた四ツ堂の多くは、今もその場所に痕跡を留めている。何らかの形を留めているうちに『中国行程記』に描かれた四ツ堂を全部探しあてたいものである。


備陽史探訪の会
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