第78回      

  
 能登原とんどは継承する

校庭に並んだ勇壮なとんど(2009年)

 「福山とんど」の起源は、福山城落成と水野勝成入城に際し、城下町の人々が、様々な頭飾りをつけたとんどで練り歩き祝ったことにある。その元となった深津村の裸とんどは、とんど同士をぶつけあう激しいものであったが、勝成が頭飾りを賞賛したことで「福山とんど」は頭飾りを競うとんどになった。それは、隣国からも見物に来るほどの賑わいであったという。
 現在、その「福山とんど」の伝統を唯一継承しているのが「能登原とんど」である。各地区ごとに華やかに趣向をこらした頭飾りを競う様は、まさに「福山とんど」の流れを汲んだ堂々としたものである。また、とんどを回したり、互いにぶつけあうなどの特徴があり、従来のとんどの姿も伝えていると思われる。
 「能登原とんど」の発祥はつまびらかではないが、一説には鞆のとんどに起因すると云われる。近年では、1996年沼隈町指定文化財に指定され、2005年に合併により福山市無形民俗文化財となった。翌年にはばら祭りのローズパレードにも参加しており、実際に目にした人も多いのではないだろうか。
 毎年1月の第2土曜日、各地域を練り歩いた6基のとんどは、能登原小学校に勢揃いし、出来栄えを競いあう。
 新たなるとんど文化の創出

激しくぶつかりあうとんど。担ぎ手も支え綱を担う人も一体となる。

 その日、能登原小学校には、全高10メートルほどの頭飾りの立派な6基のとんどが並び、その前で、勇壮な太鼓の演奏がおこなわれていた。空気を震わせるその律動が、これから出陣するかのように気持ちを昂揚させてくれる。大きな頭飾りが風に煽られ倒れないように、各地区の人たちがとんどの支え綱をピンと張って見守っている姿が印象的だ。
 やがて太鼓の演奏が終わると、それぞれのとんどの中に、太鼓を持った子供が乗り込み、それを十余名の男性陣が担ぎあげ、校庭を練り歩く。女性や子供たちも八方に伸びた支え綱を握り、それに従う。とんどが傾きそうになれば、支え綱を引っ張り、担ぎ手を助け、とんどがぐるぐると回りはじめれば、振り回されるようにして、周囲を走り回る。
 300キロもあろう6基のとんどが校庭を練っている間も、終始とんどの内部から太鼓の音が響き、まるで陣太鼓のように担ぎ手たちを鼓舞していく。
 やがて、2基のとんどが鉢合せすると、互いにぶつけ合い、気勢をあげる。それは、喧嘩をしかけているというより、互いに元気さを誇り、共に讚えあっているようにも見えた。
 「福山とんど」を継承した「能登原とんど」は、この地に新しい独自のとんど文化を創出した。一度は歴史の舞台から消えてしまった「福山とんど」だが、今一度、新たな文化を創れぬものだろうか。


備陽史探訪の会
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