第76回      備後の農民一揆(8)

  
 備後富士 蛇円山

芦田側右岸から望む蛇円山

 前回、天明の一揆の蜂起は蛇円山の烽火から始まったことを書いた。
 蛇円山は標高545.8m、備後平野部では最高峰の山である。(福山市で一番高い山は市境に位置する京ノ上山(標高611.2m)である)備後富士の別名を持つほど、裾を広げた美しい姿は、東進する芦田川付近からも、よく見通せる。今は蛇円山と書くが、かつては蛇園山と記され、古くは『備陽六郡誌』にも記述が見られる。蛇園山は、「西備南方の一大山」であり、「四州の山々が雲霞の間に見へわたり、北は雲伯、東は備作、西は芸石に及ぶ絶景なり」とある。
 標高といい位置といい、蜂起の烽火をあげるには最適の山であろう。当時の農民たちは、その時はまだかと蛇円山の方角に目を凝らしていたに違いない。
 では、烽火をあげる方からはどんな景色が見えていたのだろう。いくら最高峰と言え、火を焚く場所によっては、見えない方角があるはずだ。どこで烽火はあがったのか。なんとなく気になって、蛇円山に上ってみた。
 現在は頂上付近まで舗装路が整備され、キャンプ場となっており、登山やドライブなどでも広く親しまれている。  
 キャンプ場からは、山間を流れる服部川沿いの集落が一望でき、遠く服部大池の水面の輝き、さらには南方の天王河原まで、くっきりと見渡せる。
 烽火の上がった場所

蛇円山頂上のタカオカミ神社本殿裏手にある石の社殿

 そこから整備された参道をさらに上っていくと、頂上にはタカオカミ神社が鎮座している。
 『西備名区』には、山が大蛇の形に似ていたから、また神の代に大蛇が住み人を悩ませていたから、龍山、おろち山と言われるようになったとあるが、『蛇園山タカオカミ龍王廟記』によれば、「天龍が岩船に乗り、この山に降りた。文治年中(1185―90)源頼朝が土肥実平、梶原景時に当地方を治めさせた時、霊跡の所在を知り、廟を建て八大龍王の宮と称し祀った」と記されている。
 真偽は定かでないが、相応の歴史を持つ神社には間違いない。
 4.5坪あった拝殿は近年の台風のため倒壊し、今は本殿のみが建つ。現在、周囲は樹木に遮られて、南方面も見晴らしは悪いが、昔なら天王河原がよく見えたはずだ。
 天明6年(1786)12月16日の未明、この境内いっぱいに夜空を焦がすような炎が燃えあがったのだろうか。
 現在の社殿がいつ頃建立されたのか不明だが、『備陽六郡誌』に龍王社は「石社」と記されており、本殿裏手にある小さな石の祠が本来の社殿であったのではなかろうか。これなら炎に焼ける心配はない。そしてまた、この石社の前で、雨乞いの祈祷が行われるなど、農民には縁の深い場所だ。
 頂上まで登られた方は、この小さな石社にも手を合わせてみたらいかがだろう。備後の地に生きた農民たちの祈りを感じることができるかもしれない。


備陽史探訪の会
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