第75回      備後の四ツ堂(14)

  
 福山市熊野町下山田 「一本松の地蔵堂」

わずか1畳ほどの小さなお堂

 福山沼隈線沿いの「かんかん石」から少し南に下った所、右手に入る旧道沿いに小さな堂がある。一本松の地蔵堂、名称からして近くに一本松でもあったのか。訪れたのは秋の候、傍らのコスモスが風に揺れ、里の風景ともあいまって旅の風情を醸し出す。その昔は、南側に広がる田園風景を見下ろしながら、ここで旅人がひと休みしたのだろうか。
 昔日に思いを馳せながら少し首を傾げたくなったのは、その大きさである。市内でも随一の小ささだ。記録によれば、1.1m×1.5m。柱や、地蔵の安置されたスペースを除けば、大人ひとり座るのがせいぜいの広さだ。
 しかも、その造りは切妻の六本柱の吹き放し。一見四ツ堂の姿であるが、左右の面に本来ならあるべきでない横木が渡されている。これでは、正面からしか腰掛けることができない。何のための堂だろうか……。
 

イボに効くといわれるお地蔵様は今は信仰されている

 しかし、小さいながらも、花生けには生花が活けられ、南からの陽射しが注ぐこの堂は、明るく穏やかな気配をまとっている。この堂を管理されているのは、近くの住人。イボによく効くお地蔵さんを頼みに今でもお参りする人がいるのだという。「守をするのは、ここの本家と分家だけじゃけえ」と少し寂しげではあったが、誇らしげな男性の横顔が印象的だった。
 安芸・備後の辻堂の習俗は記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として指定され、昭和59年度に調査が実施された。その折りの「辻堂」の規定によれば、確かに条件は満たしている。『備陽六郡誌』には下山田の辻堂は六宇とあるが、この堂がそれのどれに該当するのかは不明だ。
 辻堂か、仏堂か、判断に悩む堂は多くある。しかし、姿形も、その使われ方も時節と共に変わるものだ。その精神が受け継がれていれば、それでいい。言い返せば、どんなに立派でも、ココロが受け継がれていなければ、文化は滅ぶ。
 たったひとりの旅人のための休み処が、イボに悩む人々の心の拠り所となって、今も地域に生きている。住民のための住民の手による文化が、ここでも継承されている。


備陽史探訪の会
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