第72回      備後の四ツ堂(13)

  
 神石郡神石高原町油木 「歌の御堂」

とんがり頭の特徴的なシルエット

 国道182号線を油木交番付近で旧道に入る。それは、山陰と山陽を結んだかつての街道である。
 その昔、旅人は油木の宿場町で旅の疲れを癒した。その宿場町の手前、福山からの道と備中高山からの道が合流する地点に、権現山から湧き出る泉があった。そしてその傍らには御堂が建っており、旅人は清冷たる湧水で喉を潤し、その堂で憩ったと云う。
 時は承安の初め(1170年頃)、かの西行法師が安芸の宮島に詣で、備後路から備中路へと向かう途中油木を通った折り、この堂で休み、清水に旅の疲れをいやし歌一種を遺したと伝えられている。
 手にむすぶ 岩間の清水
   底澄みて 行かふ人の
     かげも涼しき
 夏の暑い盛り、奥深い山をかき分けて、油木に辿りついた旅人をどれほど慰め癒してくれたことだろう。
 

従来の場所より少し上に移動した御堂、向って右手に「歌の清水」がある。

 後の人が、この泉と堂を「歌の清水」「歌の御堂」と称し、油木八景の一に数え、その由緒を語り継ぐこととなった。享保6年(1721)には、中津藩主奥平大膳大夫昌成が御堂の荒廃を嘆き再建させという記録がある。
 西行の足跡は中国地方にはないという向きもあるが、この地を訪れなかったという証拠もない。伝承は伝承でいいのではないだろうか。御堂が何百年もの歴史を紡いできたのは事実だし、西行の伝承があったからこそ「歌の御堂」が往時の姿を今に伝え、旅人は古へと想いを馳せることができるのだ。歴史を歩く者に、検証など野暮というものだ。感じる心があればいい。
 数年前の交差点拡張に伴って現在の地に移転されてしまったが、茅葺きの屋根も楓の柱もそのままの姿である。堂は保存会の方々に守られている。これからも末永く、西行の「歌の御堂」として、油木の大切な財産として、歴史を継いでいって欲しい。
 夏の涼も良いが、雪景色の「歌の御堂」は、さぞ美しいのではなかろうか。雪の季節にも訪れてみたいものである。


備陽史探訪の会
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