第71回      信岡平六と戸手用水―2―

  
 鍬一筋の溝

戸手用水の源、今も清涼な水が湧き出ている

 大佐山の西麓に澄んだ水を湛えた場所がある。湧水=清水と呼ばれるこの湧き水を源とする戸手用水は、ここから神谷川と並行して南下し、戸手の境あたりから素盞鳴神社(通称・天王さん)の方へと流れを変える。しばらく暗渠が続き、やがて天王さんの北側に、ぽっかりと口を開ける。
 以前より水量が落ちたとはいえ、透明度を保った水中には水草がなびき、小魚が群れ泳ぐ。水路の流れに目を注ぐだけでも心が和らいでくるが、やはりこの水路のある風景に包まれる安心感は格別だ。そこには、この町が刻んできた時の重みと、土地と共に生きていくことの確かさがある。
 水路は、天王さんの北沿いに進み、線路を越えたところで袂を分かつ。本流はそのまま進み、かつての戸手村を貫き、芦田川へと注ぐ。左へ折れる支流は、昭和四十年代頃まで、中池へと流れ込み貯水されていたそうだ。
 完成までに三十九年の歳月をかけた戸手用水は、旱魃で他の村が干上がった時でも、滔々と水を湛え、村の稲田を潤したと云う。
 この水路を、地元の人たちは「鍬一筋の溝」と呼び、今なお、地元の誇りとしている。
 土地と共に生きる強さ

「石塔さん」の前で行われた一八〇年忌法要

 この大事業を私財を投じて取り組んだのが、戸手の庄屋・信岡平六である。彼の偉業ついては前回で触れた通りだが、2008年9月7日に、一八〇年忌法要が営まれた。
 当日、村正信岡祐義の頌徳碑、通称「石塔さん」の前に、テントが張られ席が設けられた。法要には信岡家の方をはじめ、戸手の人たちなど約六十名が参列。粛々とした雰囲気の中、法要は執り行われた。その後、公民館に場所を変え、「石塔さん」についての講演、来賓あいさつ、御斎(おとき)で締めくくられた。
 その間終始、地元のかたたちの「戸手」に対する誇りや信岡家に対する景仰を感じることができた。それは決して居丈高なプライドや押し付けがましい敬恭ではなく、あくまでも和やかで滲み出るような思いであった。
 戸手の人たちの、その土地に住み暮らしている確固たる自信や豊かさのようなものだろうか。彼らの胸に宿したものの熱さに、そして強さに、ただ圧倒される思いである。
 さて、信岡平六の家は、代々受け継がれ、今も居宅とされているが、2008年3月には国の登録文化財の指定となった。文化財指定の古民家を維持していくことは想像以上の難事である。古民家を修築するより、壊して新築する方が易しい現実の前に、あえて文化財として残される道を選ばれた信岡家当主の勇断に感謝したい。
 地元の遺産として、そして福山市の文化財産として、積極的な保存を望みたいところだ。先人たちから託されたものを受け継ぎ、次世代に伝えるのは、今を生きる私たちの努めである。


備陽史探訪の会
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