第66回      備後の四ツ堂(11)

  
 福山市神辺町上竹田  「薬師堂」

薬師堂に至る細い道

 神辺町上竹田と下竹田の堺のあたりに位置する「薬師堂」。県道76号線と平行して走る旧道筋を行くと、薬師堂の案内板が出ている。そこを折れ、さらに細い道へ入っていくと、境内地がある。少々わかりにくい場所である。
 本尊である高さ約60センチの薬師如来像は、江戸時代前期の作。2007年の8月に、かねてより創作時期に関心を持っていた地域の人が、住職に頼み、薬師如来像の背中を開けたところ、「延宝9年(1681)7月吉日」「深力培 作」と記されていたそうだ。深力が、巡礼の途中、流行病で幼子や若い人が死んでしまう話を憂い、像を作ったと伝えられている。
 江戸時代前期の仏像が、これほど良い保存状態で、地域で管理されているケースは福山市内では珍しいという。
 

薬師堂全景

 本尊につき従うように左右に、日光・月光菩薩像。三体の像は、いずれも塗りが剥がれ落ち、黒ずんだ木肌が長い歳月の重みを醸し出している。堂内には、灯明台やさい銭箱が置かれ、真言の書かれた紙も貼られており、どちらかといえば、仏堂に近い堂なのであろう。境内地も広く、場所も街道沿いではなく、四ツ堂とは認識されにくい。
 しかし、『備陽六郡誌』の上竹田村の項には、四ツ堂として、薬師堂が5宇、その他が3宇あると記されている。
 同じく「薬師堂」の件には、「皷か岡長福寺と号し、本尊は行基の作。元禄の頃までは、四ツ堂として、山下の街道にあったが、ある夜盗っ人が本尊を盗ろうとした……」と書かれている。この「薬師堂」こそが、現在の上竹田の薬師堂の事であるという説もある。仏師が異るので、真偽のほどはわからないが、いずれにせよ、江戸時代には、当堂は四ツ堂であったに違いないだろう。
 形を変え、場所を変えながらも、江戸時代からの習俗が伝えられていることに、地域の人たちの誇りと気概を感じる。


備陽史探訪の会
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