第65回      

  
 やっさ踊りと三原城

三原城天守台(2008年当時)

 毎年8月第2日曜日の前3日間(金・土・日)、「三原やっさ祭り」が開催される。その中心となるのが「やっさ踊り」である。2008年には郷土の誇る踊りを次世代に伝えようと、子供やっさ踊り部門が創設された。それに呼応するように、「子ども・初心者やっさ教室」の受講者は毎回200人を超えたという。今でも、毎年、教室が開かれている。
 「やっさ踊り」は、今から430年ほど前、三原城築城を祝って、老若男女を問わず三味線・太鼓・笛などを打ちならし、思い思いの歌を口ずさみながら踊ったのが、はじまりとされる。その歌詞は、時代とともに移り変わり、歌も身なりも変化し、賑やかに「やっさ、やっさ」という囃子ことばで踊るようになり、いつしかこの踊りを「やっさ踊り」と呼ぶようになったそうだ。
 決まった踊りの型はなく、囃子のリズムにあわせ、各人がおもしろく、気やすく踊れるところから、毎年7000人の人が踊りの輪に加わるという。
 その発祥となった三原城であるが、戦国時代の智将・小早川隆景が、永禄10年(1567)瀬戸内の水軍を統率するために、三原湾に浮かぶ大島・小島をつないで築いた海城である。満潮時にも海に浮いているように見えたため、浮城とも呼ばれていた。
 「ぶれない」歴史観

天守台から堀端を望む。史跡公園として保存整備が進められている。

 三原城は東西約2.1キロ、南北約720メートルの大規模な城郭であり、本丸の南は海だった。海に浮んで見えるそのの偉容は、さぞかし沖をゆく船を圧倒したことだろう。
 しかし、明治になると、建築物は糸崎神社や順勝寺の門に移築されたり、石垣は糸崎港建設の用材として大部分が撤去された。現在JR三原駅が、本丸跡を貫いているため、城址は寸断され、本丸の天主台跡に行くには三原駅構内から行くほかない。
 かつての城郭の規模も浮城としての姿も今では想像の翼を広げるしかないのだが、江戸時代に積み直されたという天守台跡の石垣は、今でも優美な曲線を描き、そのすそを堀に張った水中に広げている。400年の時を重ねてきた本物の持つ凄みは圧巻である。
 しかも、2004年度より天主台跡付近の密集していた民家敷地を買収し付近を保存、公園化する工事が進められ、同じ年より「三原浮城まつり」も開催されるようになった。 
 2007年度は、3600万の事業費をかけて、石垣の修復・復元がなされた。
 三原城には実際に天守が建築されたことはなく、今あるのも天守台を中心とした北側の堀のわずかな石垣だけだ。けれど、三原城は、市の象徴として、また市民の誇りとして、郷土に息づいている。
 三原の町は福山同様、築城と共にうまれ、後に城郭は線路によって分断されるという同じ歴史を持つ。しかし、三原市は、その生い立ちを誇りとし、着実に「ぶれない」歴史を歩んでいる。


備陽史探訪の会
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