第63回      備後の四ツ堂(10)

  
 府中市上下町 「天神下堂」

「天神下堂」

 旧甲奴郡上下町は、備後国のちょうど真ん中あたりに位置しており、上下は山陰と山陽を結ぶ石州街道の宿場町でもあった。そのせいか、昭和58年の調査では、甲奴郡上下町だけで69宇の四ツ堂の存在が報告されている。備後地域の四ツ堂のご多分にもれず、これらの堂の建造年はいずれも不明であるが、元禄13年(1700)の『検地水帳』にはいくつかの記載があり、それ以前からあったものと推測されている。
 上下町松崎地区の「天神下堂」は、石州街道からは少し外れた竹原から松江に抜ける国道432号線沿いにある。この堂は、検地水帳には記帳されてないが、堂内に安置された板には、享保9年(1724)奉再興本尊…とあり、それ以前からこの地に祀られていたに違いない。
 現在の堂は、昭和13年改築であるが、入母屋造のまことに立派な堂である。昭和58年の調査によると、「八月十日は近所の子供たちが集まり、堂をきれいに飾り観音仏の供養を行っている。昔は、この堂を管理する松崎地区の一部の地域(組、九戸)の集会の場所にも使われ、また浮浪者の一夜の宿にもなっていた」とある。

 当時の写真と見比べてみても、周囲の風景はあまり変わっていない。とはいえ、木の電信柱はコンクリート製になり、隣接する茅葺の民家は、瓦葺の入母屋造になっている。その屋根の風情が「天神下堂」の造りに似通っていて、なんとなく微笑ましい。
 当時から「よく管理された堂」と記されているが、今も変わらず地域の人々に親しまれているようである。
 時代の流れの中で、消えてゆく堂は多い。69宇の内、25年間で、どれほどの堂が時の狭間に朽ちていっただろうか。堂が小さな祠に変わったり、消えてゆく様を目の当たりすると寂しいものである。現実性ばかりがもてはやされる昨今、乾いて固くなった心も、変わらぬ辻堂習俗の風景に出会うことで、ふわりとほどけていくような気がする。
「天神下堂」の近景



備陽史探訪の会
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