第57回         備後の四ツ堂(8)

  
 福山市駅家町 「日和堂」

「日和堂」 傾いている四ツ堂

 私が四ツ堂を訪ね歩いているということを知った友人から、幼い頃遊んだ堂があるので一緒に探しに行かないか、と誘われた。友人の記憶も確かなものではない。親戚宅の近くにあったということぐらいで何十年も行ったことはないそうだ。しかし、懐かしさもあり、是非もう一度見てみたいということで、ご一緒させていただいた。
 蛇円山へと車を走らせながら、途中、言われるままに細い脇道へと逸れた。車一台が通れるだけの、セメント舗装の道路である。両側には夏草が生い茂り、見通しの利かない道を注意深く登っていくと、やっと開けた場所に出た。
 そこは、集落とも言えぬほどの山間の地。三軒ほどの家屋はすべて廃屋と化している。小さな段々畑は今も使われているようで、手入れをするために訪れる人はいるのだろうが、人の住まぬ地にはかわりない。
 四ツ堂は舗装路の終点にあった。それより先は未舗装の蛇円山への登山道。久しく人の通った気配もない。
 四ツ堂の奥にある竹薮に囲まれた家の荒廃は著しかったが、堂もまた傾き、かろうじて奥の家に支えられているといった悲惨な有り様だ。何もせずとも十年もすれば倒壊してしまうだろう。
 四ツ堂とは、そもそも地元の人たちによって、管理されてきた堂である。過疎化する集落では、堂を維持するのに苦労されている。補修・再建する経済力のない地域では、撤去してしまうしかない。
 傾いた堂の中でそこだけ異質な空間であるかのようにまっすぐ立っている石地蔵。(もっともまともなのは牛供養地蔵であり、本尊らしき地蔵は後ろの隙間に斜めに突っ込まれているようにみえる)いずれの地蔵もその表情は悲しげにも見えるし、あるいは、人が住まぬ地ならばしかたないとあきらめているようにも思える。
 限界集落のさらにその先にある現実。文化も民俗も、人の住まぬ地に存続は許されない。言い換えれば、人の住む地であれば、伝えてゆけるのである。
 かつて旅人のために作られたという四ツ堂も、今や地域の人々が憩い、集う場所となっている。決して、言い伝えだけの、無用の長物としてはならない。
(現在は、新しく堂が建て替えられています。それについては「備後の四ツ堂(24)」に掲載予定)
傾いたお堂の中でもまっすぐに立っている石地蔵



備陽史探訪の会
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