第55回       

  
 梅雨の風物詩

 池の土手に並んでの虫送り。空に響く太鼓の音、水面に映りこんだ若者の法被姿、美しい風景である。

 まだ梅雨が明けず、朝からしとしと小雨が降っていた7月1日(2007年)のことだった。あじさい寺として有名な府中の神宮寺へ行った。この寺は往古、南宮神社の別当寺であり、現在神社と隣接している。あじさいを観に行ったのだが、偶然にもその日は南宮神社の神事、虫送りの日であった。
 虫送りは、稲に害する虫を除く、古くからの農村の大切な年中行事である。備後地方では田植えが終わってから六月頃までに、藁人形は用いず、鉦・太鼓を叩きながら虫を追う。
 あじさいの小道をそぞろ歩いていると遠く鉦の音が聞こえてきた。それに前後するように三々五々法被姿の氏子たちが参道を登っていく。次第に大きくなる鉦の音。
 振り返ると、神社下の溜池の土手に太鼓を手にした若者たちがいた。一列に並んだ法被姿は田植えが終わったばかりの水田の水面に映り、まるで一幅の美しい絵を観るようだった。そして息を飲む間もなく、鉦と太鼓の音色がいっせいに空に解き放たれるように響き渡った。
 やがて次々と鉦、太鼓を鳴らしながら各組が集まって来ると、鳥居下で円陣を敷き、激しく太鼓を打ち鳴らし始めた。虫たちも驚いて村から出て行きそうな勢いと熱気だ。
 通称虫送り、7月第一日曜日に行われている南宮神社の蝗除祭(じょこうさい)である。

 歴史を紡ぐ南宮神社

参道の石段下で集まってそれぞれの町が太鼓を打ちならす。

 南宮神社は、古くから備後国一宮の吉備津神社に次ぐ大社と称され、備後の国中三社のひとつである。大同2年(807)の創祀と伝えられ、精美を極めた殿舎や神宝等も保元・平治の乱で散失。木梨城主杉原又太郎が社領を寄せた後、福島正則に没収、元和5年(1619)水野勝成が神田一反を寄進している。現在の本殿は寛文九年に再建されたもので、内々陣に奉安するご神像は鎌倉時代にまで遡る古い木像であるという。
 また南宮神社を特色づけるものに鐘楼がある。かつて神仏習合の時代、神社の境内に鐘楼はあたりまえの風景であったが、明治の廃仏毀釈に伴い、神社境内から鐘楼はことごとく姿を消した。広島県下で鐘楼が境内に残る神社は二社だけである。
 全国的にも古い遺構である南宮神社鐘楼だが、初代梵鐘は福島正則が広島に持って帰ろうとして尾道沖で沈没、二代目はペリー来航の際、大砲を造るために供出。以後、150
年間ほど梵鐘のない鐘楼だったが、平成16年7月に新造され、やっと吊り下げることが出来たそうだ。
 廃仏毀釈の折り、南宮神社の境内にどのような経緯で鐘楼を遺すことができたのか。偶然の産物か、あるいは当時、勇断した何者かがいたのかもしれない。虫送りも雨ごいも、現代の農業にはもはや不要な儀式であろう。しかし、地元の人たちが培ってきた文化や継承すべき歴史に、不要という文字はないはずだ。



備陽史探訪の会
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