第54回       備後の四ツ堂(7)

  
 福山市柳津町 「唐津堂」

柳津町の「唐津堂」

 松永の柳津町に、地域の人に愛され続けている四ツ堂がある。「平素でも堂内にお祀りされたお地蔵様に多くの参詣者が訪れ、線香や灯明が絶えない」と昭和59年の調査報告資料に書かれているが、決して大げさな表現ではあるまい。
 自転車で訪れた男性が慣れた手付きでろうそくをつけ、線香をあげ、去っていく。近くに集会所はあるが老人はみなこちらに集まってしまうのだと、堂を穏やかに見上げながら老婦人が語る。そこに昭和59年からの長い歳月は感じられない。
 この堂は旧県道松永・藤江線沿いにあるため、車で往来する場合目にすることは少ないが、「唐津堂」の看板も出ているし、堂名の由来である屋根の天辺にかぶせてある擂り鉢によって見間違うことはないだろう。
 この堂には、屋根の擂り鉢以外にも変わった点がある。堂中央に安置されている地蔵菩薩座像であるが、実は堂床下から基礎が築かれ座板をくりぬいて設置してあるのだ。堂が先か地蔵が先か、堂の建立に関し、次のような伝承が残っている。


いつもきれいに祀られている四ツ堂

 「昔、豊田郡高根島の娘が三原城下に嫁ぎ一子を授かったが、故あって三原を離れ、柳津の柳田家に後妻として入った。三原に残した子供が病弱であったため、これを案じ、子供の快癒を願い、地蔵菩薩を祀り堂を建立した」
 この伝承を裏付けるように、地蔵菩薩座像の台座に元治二年丑年二月吉日の日付と、発起人として三原の生駒氏や柳田氏の名が刻んである。また左側面から裏面にかけての寄付者名の中に高根小川豊三良がみられる。
 本尊背後にも多くの地蔵尊があるが、堂建立の由来を伝え聞いた人々が子供の健康や冥福を祈り、長い年月に次々と堂内に安置したものだという。
 旧県道に三本の道が交わるこの辻に建つ堂には、人々の祈りや思い、日々の会話までも交差している。まさに地域の人たちが育んできた文化であり歴史である。




備陽史探訪の会
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