第52回       

  
 兎の神社

とても小さな養兎神社本殿

 神辺町の豊久保湯田の地に、とても小さな、風変わりな由緒をもつ神社がある。神社誌にも記載されてないし、地元の人しか知らない神社であろう。
 神社の名は養兎神社。人のために命を落した養兎を鎮魂するため、昭和3年、得能正通氏により鳥取市の白兎神社より勧請された。白兎神社のご祭神は白兎神、因幡の白兎である。
 県道390号線より少し西に入った小高い道沿いにある手狭な境内には、小さな社殿ひとつと石碑、由緒板があるばかりだ。しかし、社殿を見守るように植えられた一本の桜と楓の木が落す木漏れ日は、まるでかよわい兎の魂を慰めでもするかのように、穏やかでとても優しく感じられた。
 創建者である得能正通氏は、慶応3年(1867)神辺町湯野に生まれた。明治23年に『日本養兎史』を著し、以来養兎業の唱導に情熱を傾けることとなる。
 折しも国内では日清、日露戦争がおこり、手軽に増やせて肉や毛皮に有効活用できる軍兎の繁殖は奨励され、第二次世界大戦の頃まで、日本は世界でも有数の養兎業の国であったという。

 偉大な郷土歴史家得能氏

立石定夫元市長による由来書板

 養兎事業の振興に奔走した得能氏であるが、その名を今に広く留めているのは、「養兎翁」としてよりはむしろ歴史家としてであろう。
 郷土史の足がかりともいえる『備陽六郡志』や『西備名区』などの古文書を読みやすく活字化した『備後叢書』の編纂。備後のあらゆる歴史を研究、蓄積した『備後史談』の編集出版。数多の郷土史研究の功績は、今なお燦然とした輝きを放つ歴史の道標である。
 特に交通事情の悪かった昭和初期に、実際に郷土を丹念に歩き、その目で足で綴った歴史には感嘆を禁じえない。
 養兎神社の祭礼は、由緒書きには4月25日とあるが、近年では4月の初め頃行われていた。創始者の得能氏が、境内の桜の木が咲く頃にと望んだ通り、毎年満開の桜の下で執り行われるようになったという。
 しかし、数年ほど前から例祭はなくなったようだ。創建当時から神社を守ってきた人々の高齢化に伴い、ひとつの歴史が幕を閉じようとしている。
 当地の養兎業は廃れてしまった。得能氏が郷土史に残したその大きな業績と比べると、養兎神社は、とても小さな足跡である。しかし、得能氏の郷土を愛する心とその偉業と共に久しく継がれてゆくことを願ってやまない。
 当神社のご祭神は、大国主命である。勧請元の白兎神にしろ、因幡の白兎を助けた大国主命にしろ、等しく兎を守護してくれるに違いない。
 兎愛好家はお参りしてみるのもいいのではないか。



備陽史探訪の会
バックナンバー HOME クラブTOPへ ▲PageTop