第45回     備後の四ツ堂(4)

  
 福山市坪生町「葉座の庚申堂」

葉座の庚申堂

 坪生町葉座に「庚申堂」と呼ばれる堂がある。76号線を坪生方面に北上し、東陽台を過ぎたところの交差点を新池公園方面に左折する。昭和56年の区画整理で元の場所より東十五メートル移転し、現在は道路沿い左に建っている。
 宝形造、四方吹き放ちのいかにも四ツ堂らしい堂である。敷地内には、地神や石灯籠、移転碑もある。
 棟板は全部で5枚あり、宝暦8年(1758)「奉建立庚申堂一宇」、安政3年(1856)「奉再建立庚申堂一宇」、明治28年(1895)、昭和60年(1985)「奉再修繕庚申堂一宇」、平成14年(2003)「奉大修繕庚申堂一宇」と修理・再建を重ねている。
 棟札にもあるように庚申信仰の為の堂であり、備後地方に残る数少ない庚申信仰の一端を伺い知ることができる堂である。
 庚申信仰とは中国の道教の教えによるもので、60日ごとにめぐってくる庚申(かのえさる)の夜、人の体内にいる三尸の虫が睡眠中に体から抜け出し、天帝にその罪過を告げるから命が奪われる。そのためこの夜は眠らず、健康長寿を祈念するというもので、室町時代以降は、民間でも庚申の夜は眠らず、庚申さまを祀り、会食し、夜を徹して語り明かす「庚申待ち」の風習が広まった。
 

庚申堂の移転碑

 元和六年、水野家においても庚申の行事をした記録が残されており、江戸時代には一般的な行事だったのだろう。昭和59年の時点では、「葉座の庚申堂」でも庚申の行事が行われていた記録がある。堂に幕を張り、幟を立て、お供えし、夕方には神官のお祓いがあり、その後庚申待ちの夕食を取り、午後10時頃まで庚申待ちをしたという。
 場所を変え、姿を変え、250年の長きにわたり地域の人たちに守られてきた四ツ堂である。「庚申待ち」の風習と共に、伝統文化として長く語り継いでもらえたらと思う。
 かつては坪生村内14カ所あった堂も、昔日の姿を今にとどめるのは「葉座の庚申堂」「狐原の地蔵堂」「池平の大師堂」のみという。



備陽史探訪の会
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