第41回     備後の四ツ堂 (2)

  
 福山市金江町 「本谷の堂」

十尺四面の大きな四ツ堂

 沼隈町中山南からみろくの里、本谷池を越えて、松永方面に向かう道は、山あいを流れる小川に沿った旧道だ。なめらかな曲線を描くその道の両側に広がる田圃に吹く風は清々しく、知らず知らずのうちに古の旅人に想いを馳せたくなる。
 その行程の半ば、旧金見村は藤江に抜ける三差路、そこにおよそ十尺四面のかなり大きな四ツ堂が建っている。福山市内でこれほど大きな四ツ堂も珍しく、思わず足を止めて唸ってしまった。
 2000年に取り付けられたまだ新しい棟札には昭和11年に当村の箱田徳十郎氏の発起により、再建され寄附されたものと記されている。この堂はおよそ百年毎に再建され、現在のものは四代目であるとも記されている。裏を見ると、創建は元和6年(1620)水野勝成の文字が見える。打ち付けられた柱が邪魔をしてそれ以上は読めなかった。
 四ツ堂建立は勝成が奨励したものという逸話が残されているが、確たる史料もなく、当時の棟札が残る四ツ堂は皆無に等しい。
 元和6年といえば集中豪雨に襲われ、造成中の福山城下が壊滅的被害を受けた年である。当時このような立派な四ツ堂を造ったのだろうか。それとも創建時はもっと小振りな堂であったのか。

四ツ堂の周りの風景

 地元の人に話をきく機会がなかったので、棟札の経緯は不明であるが、須屋に納められた仏像の傷み具合といい、堂の美しいシルエット、少しひいた目線で見れば、川沿いに開けた旧道沿いの風景へのしっくりとした馴染み感といい、江戸初期に創建されたという歴史はいかにも説得力がある。
 道を隔てて公民館を併設するこの堂は、かつては八幡社の祭礼に奉納する郷土芸能「キリコ」や「はね踊」の集合場所、出発場所として活用されていたという。
 百年後も、変わらず美しい風景であって欲しいと願うのは、通りすがりの旅人のわがままだろうか。




備陽史探訪の会
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