第40回     

  
 380余年の歳月を経て

 今は埋め戻されたしまった御水門の遺構。2008年の見学説明会にはたくさんの人が訪れた。

 2007年から2008年にかけて福山城駅前に位置する外掘の「舟入状遺構」と「御水門跡」の発掘調査がされた。
 水を張った堀のメンテナンスをするために舟が必要で、御水門はその舟への乗り降りのための出入口である。御水門を備えた堀の例はあるが、福山城ほど立派な船着き場を備えた外堀は全国でも稀で、学術的にも貴重な遺構であるという。
 福山城の外堀は、かつては入川で瀬戸内海とつながっており、舟入は海から物資を運び城内へ荷揚げするための船着場として使われていた。そのため、これほどの規模を誇っていたのだろう。
 舟入の遺構は東西28.5メートル、南北は推定20メートルで、入り口の幅は12.5メートル。南側の二重櫓の石垣は16メートル四方もあり、保存状態も良く、福山城の舟入状遺構の歴史的価値は高く評価されている。
 10月の試掘調査時の一般公開の折り、当時の石垣を実際目の当たりにしたのだが、380年余りの歳月が内包する凄みをずしりと感じた。本物の歴史が持つ重み、郷土の人に与える影響は計り知れないものがあるのではないか。

 威容を誇った福山城

威容を誇った在りし日の福山城郭

 先日、芦田川に架かる国道二号線神島橋を車で通った時、橋の上から一瞬福山城が見えて、驚くと同時に少し誇らしい気持ちにもなった。
 福山城は、西国の外様大名に睨みのきかせるために政略的に建てられた特殊な城であり、十万石の福山藩に過ぎた三十万石大名並の城であった。
 天守は国持ち大名しか築城を許されない五重天守、最上層には格式の高い社寺にしかない廻り縁。しかも城内に三重櫓が七つも建っており、姫路城、熊本城に継ぐ威容を誇る名城だ。
 ことに城下町から観た城郭風景を重視した城は例がなく、日本で最も美観を誇った城郭であったと言える。天下橋からの眺めが一番雄壮で美しいものだったらしいが、城下町界隈を歩けば、今でもビルの狭間から天守の姿が見えるポイントが結構あるものだ。もっとも、時代と共にどんどんその確率は低くはなっているが。七つの三重櫓を焼失し、美しさを誇る天守も、経済成長の波に今にも沈んでしまいそうである。
 名城のひとつに数えられる熊本城は、築城四百年を機に大々的な復元整備が行なわれた。
 元和五年より水野勝成がすべてを賭けて造りあげた福山、その福山らしさとは、いったい何なのか。次代の郷土の子どもたちに何を遺せるのか、また何を遺すべきなのか。福山築城400周年を前に、今、市民ひとりひとりに問われている。




備陽史探訪の会
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