第29回     水野勝成の遺したもの (29)

  
 貴重な檜皮葺きの屋根

2009年の西宮本殿

 平成二十年に、福山八幡宮西御宮の檜皮葺きの屋根の葺き替えが終り、当時の鮮やかな色彩が社殿に蘇った。
 福山八幡宮は二十五年目ごとを式年と定め大祭を執り行う。昭和五八年の御鎮座三百年の奉祝記念事業として、東御宮の屋根の葺き替え、中央拝殿の新築、駐車場などの境内整備が行われた。次の式年は平成二十年だが、十六年の台風で西御宮の檜皮葺きの屋根が損傷したため、前倒しで平成十九年より修復工事に着手した。
 檜皮葺きの耐用年数は四十年程度とされ、福山八幡宮では式年ごとに東御宮、西御宮と交互に屋根の葺き替えを行っている。実はこの葺き替え工事には莫大な経費がかかるのである。
 檜皮は、檜(桧=ひのき)の皮を薄く剥いで重ね合わせていく屋根材で、屋根の微妙な勾配の変化、丸みが表現でき、全体に柔らかく優雅なイメージを与え、仕上がりの美しさは比類ない。植物系の屋根材の中で最高峰の材料である。反面、材料の入手や施工の手間がかかり、古来より格式の高い神社や貴族の中でも特権階級の者だけに用いられた屋根材であった。 
 檜皮は樹齢八十年以上の檜の一番表面の皮の部分をはいで使用されるが、この時期まで育った檜は建築木材としての需要が高く、檜皮用として用いられる事は少ない。国内の檜皮葺き建造物は七〇〇棟以上あり、年間約一二〇〇平方メートルの檜皮が不足している。このため、国宝級の神社でなければ、檜皮葺きを維持するのはなかなか困難だ。
 千年以上の歴史を誇る草戸稲荷の社殿も平成十九年、ついに檜皮葺きから銅板葺きの屋根に変わったのは周知のことである。

 抱き沢瀉の紋章と共に……

屋根の葺替が終わったばかりの2007年の西宮本殿

 福山地方が穴の海と称されていた頃、島山に二つの八幡宮が奉祀されていたと伝えられている 。やがて天文年中に杉原盛重が常興寺山(現在の福山城の地)に社殿を新たに造営し、若宮八幡として毛利輝元、福島正則にも崇敬された。一方の常興寺山下付近に鎮座していた惣堂八幡も盛重造営である。
 やがて、水野勝成が備後に入封し、常興寺山に福山城を築城することとなり、若宮八幡は野上へ遷され野上八幡と呼ばれ、惣堂八幡は神島町へ遷座、後に延広へ遷され延広八幡と称されるようになった。
 両社八幡に対する水野家の尊崇は厚く、正保五年(一六四八)勝成は、沢瀉の紋章、銘文入り御湯釜、金燈籠を奉納している。
 天和三年(一六八三)、四代勝種が福山城下鎮護のため現在の地に左右対称に並べて造営し、西御宮の野上八幡を城と藩士の産土神とし、東御宮の延広八幡を町家の産土神として崇めた。以来、三百二十五年、両社八幡宮はその格式と美しさを守り継いできたのである。
 葺き替えの終わった優美な曲線を描く檜皮の屋根、その大棟に輝く抱き沢瀉の紋章が誇らしげである。




備陽史探訪の会
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