第25回     水野勝成の遺したもの (25)

  
 荒ぶる神に捧ぐ勇壮な神事

素盞鳴神社本殿

 二十三回に紹介した「蘇民将来」この伝承発祥の地とされているのが、付近一帯が疫の隈と呼ばれ蘇民将来の家があったとされる戸手祇園社、現在の素盞鳴神社である。創建は天武天皇御宇(六七二~六八六)とされ、一千年を超える歴史を持つ神社だ。地元では天王さんと親しまれ、毎年七月に行なわれる祇園祭は、元禄元年、疫病・凶作・天変地異を起こす悪霊を鎮めるために始まったとされる。 
 神輿を揺さぶる「魂振り」は、神輿に坐す神様の霊威を高め病魔や災厄を除くため。神輿は荒々しく扱われるほどよい。新市、相方、戸手、中須の氏子全員が協力し、それぞれ五百キロを超す三体の神輿を担ぎ、急斜面を登ったり、ぶつけ合ったりするこの祭りは、まさに荒ぶる神にふさわしい神事である。
 山の急斜面を登る御旅山渡御、今年(二〇〇七年)は台風のため舗装路を使うことになったが、それでもかなりの迫力だ。「オイサ、オイサ」の掛け声と共に、担ぎ手の圧倒的な気魄や熱気、緊張感がうねりとなって神輿を包み、強烈なエネルギーをあたりに放つ。その渦中で祭神スサノオノミコトは神輿に揺られながら満足げに急坂を登っていくように感じられた。
 祇園祭の最後を飾るのは神輿合わせ。二体の神輿が氏子の頭上で激しくぶつかりあう。力強い激突に、境内は自ずと熱気と興奮に包まれる。
 勝敗を決するのは、担ぎ手の腕力ばかりではない。指導力、団結力、集中力、地元を背負って立つという気合いと誇り。何より担ぎ手たちが心をひとつにしなければ、為せる技ではない。
 御旅所渡御や神輿合わせ、危険と辛苦を伴うこれらの神事により培われるものの深さは計り知れない。

 住む土地を守るということ

拝殿で出番を待つ神輿三体

 天王社と水野勝成の関わりについては、福島時代に破壊された社殿を寛永八年、勝成が造営した記録が、わずかに残されているぐらいだ。
 やがて水野時代は終わり、一揆が頻発するようになる。備後一揆の最初の集結場所となったのが天王河原。天明の一揆では、天王社で一番鐘が打たれ、次々に近隣の寺社の早鐘が鳴り響いたと言われる。この戦いにおいて、備後の農民は、機智と指導力と団結力をもって、自分たちの生活を悪政から自ら勝ち取ったのである。
 水野時代には一度も起こらなかった一揆。もちろん日照りや長雨などの天変地異を考えれば、安易に水野時代と阿部時代を比べることはできない。しかし、地元への愛着と誇りを持ち、しっかりと土地の人々の暮らしに目を向け、終生土着大名であり続けた水野勝成がもたらしたものは大きいと思う。
 その土地で生きる人たちが自ら考え守り勝ちえていかないものは何なのか……、何度か存続の危機に立たされながらも今なお喧嘩神輿の伝統を継承している氏子中の熱い思いに触れながら、ふと感じることができたような気がした。



急斜面を満身の力をこめて駆け上がる「御旅」

備陽史探訪の会
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