第21回     水野勝成の遺したもの (21)

  
 年に一度の愛宕大権現祭

覆屋の中の愛宕神社 中腹にある愛宕権現社中には、将軍
地蔵や役行者像が祀られている。

 明王院の境内の緑がますます濃く深くなってきた。新緑に映える国宝五重塔のすぐ脇には、やはり緑濃く木漏れ日が揺れる石段が続いている。ここは草戸山公園(旧・山岳公園)へと続く登山口であると同時に、愛宕神社の参道でもある。
 愛宕大権現は水野勝成が福山城の火伏の守護として山城の愛宕神社を勧請したものとされている。火の神であると同時に、本地仏が勝軍地蔵であるため戦の神としても信奉された。いかにも「鬼日向」勝成にふさわしい守護神である。
 造営時より明王院(常福寺)を別当としていたが、明治の神仏分離で、山頂付近の愛宕大権現は火の神であるカグツチを祀る愛宕神社として草戸稲荷に属することになり、明王院は本地仏を中腹に移し愛宕社を建立した。
 このふたつの愛宕大権現は普段は一般の目に触れることはない。頂上の愛宕神社は覆屋内に納まっており年に一度の公開日以外、市の重要文化財に指定されている本殿を拝観することすらできない。
 その貴重な一日とは旧暦の一月二十四日。新暦の三月十三日あたりである。その日、愛宕神社へと参拝した。
 希有な様式を誇る愛宕神社

愛宕神社本殿

 明王院の境内では、前夜、愛宕大権現大祭の前夜祭として行われた火渡り神事の跡が残されていた。三百五十人もの参拝者が訪れたそうだ。
 当日も愛宕大権現へお詣りする人の姿が絶えることはなく、参道を半ばまで登った平地にある愛宕社にも、多くの人が参拝していた。昭和五十二年に、この社の天井裏から金の御幣が発見された。二代勝俊の病気平癒の祈願成就として愛宕大権現に奉納したものである。
 さらに参道を進み坂を登り切った場所に、愛宕神社本殿がある。冬に訪れた時は覆屋も閉まったままで人気は全くなかったが、当日は扉は開け放たれ、覆屋内には神官と巫女が着座して参拝者の応対をしていた。
 そのすぐ背後に、目指す本殿があった。一年中覆屋内に納められているので、保存状態は極めて良い。宝形造の前面に縋向拝、唐破風付、檜皮葺きの複雑な屋根形となっている。神社本殿には、宝形造や寄棟造は決して用いないのが通例なので、全国的にも非常に珍しいものである。意匠にも優れており江戸時代の風趣をよく残している。
 現存する本殿は寛永五年(一六二八)、水野勝成が造営したものである。
 祠と呼べるほどの小さな本殿であるが、三八〇年の歳月の重みを感じさせるには充分な威厳と格式を漂わせている。
 愛宕神社で売られていた火難防除の赤い紙幟。祖母の家の台所で見かけていたような記憶がある。戦の神から火の神へ、信仰は変わっても信心は続いていく。


   

備陽史探訪の会
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