第19回     水野勝成の遺したもの (19)

  
 よみがえる朝鮮通信使

10数年前 (?) の朝鮮通信使行列

 十数年も前になる、鞆に朝鮮通信使がやってきた。
 太田家住宅前での鞆の伝統芸能「あいや節」の披露に続き、出迎える人々に見守られ雁木に接岸する一艘の船。華やかな唐人の衣装を纏った人々が下船してくる。「よみがえる朝鮮通信史」というイベントで通信史行列が再現され、その一行であった。
 二〇〇七年のばら祭りでは、ローズパレードで朝鮮通信使四〇〇周年記念行列が行われた。そして二〇一一年の今年、「日東第一形勝」三百年を記念して「21世紀の朝鮮通信使」のイベントが大々的に執り行なわれる。
 朝鮮通信使はその名の通り、朝鮮からの親善使節であり、江戸時代、計十二回来日。寛永十三年に鞆に一泊した通信使を水野勝成が応接している。
 朝鮮通信使の応接は、国の威信をかけての接待である。各藩とも落ち度のないように、細心の注意を払い、藩をあげての最大限の歓待をした。小船や水主の手配、宿泊や食事などの接待すべてが藩の負担でまかなわれた。通信史は福禅寺、他の鮮人は寺院、通詞、対馬藩士は商家という具合に、宿泊には全町あげて対応をしたという。
 福禅寺の対潮楼からの眺めを「日東第一形勝」 と通信使が絶賛したという話は有名であり、瀬戸内の寄港地で使節団要人の宿館が現存するのは鞆だけなのだそうだ。
 その史跡とその美しい風景を何百年も変わらず守り続けてきた鞆の浦が、今揺れている。
 日本で唯一の貴重な港

通信使の船が着岸した鞆の浦雁木

 昭和五十八年広島県が鞆港湾整備計画を策定、以来二十年以上、鞆の架橋埋め立て問題は推進派と反対派の間で平行線を辿ったままである。平成九年に焚場が発見されいよいよ計画反対の機運が高まる中、今年一月に県と市は、住民の反対する中、埋め立て免許申請に向けて測量調査を実施した。
 万葉の昔から潮待ちの港として栄えてきた鞆であるが、現在の町や港の形状は、江戸時代、福島・水野時代に出来たものであり、その面影を今でも濃く残しているのが大きな魅力となっている。特に「常夜燈」「雁木」「波止」「船番所」「焚場」の江戸時代の港湾施設五点セットが現存しているのは、日本で唯一、鞆だけなのである。
 今年二月には全国六九八件のうちから鞆の浦は「瀬戸内航路の拠点となった港町の一つで、朝鮮通信使が立ち寄るなど、歴史的街並みとともに落ち着いた港町の風情が残されている」と評価され「美しい日本の歴史的風土百選」(国土交通省、文化庁など後援)に選ばれた。「国民共有の文化的資産として保存・継承していく必要がある」と認められた。
 朝鮮通信使は文化使節として大きな足跡を刻んだとして文化史的分野での評価が高まっている。
 進取の気風に富んでいた勝成はまた地域の人々の気持ちも汲み上げた人であったと思う。
 今だに定まらぬ鞆の埋め立て・架橋問題。着地点は地域の人にもそこを訪れる旅人にも、長い目でみて納得いくものであってほしい。
(※10月14日~11月27日まで、朝鮮通信使に関連の行事が多数催されます。通信使行列は11/6)

   

あいや節の踊り

備陽史探訪の会
バックナンバー HOME クラブTOPへ ▲PageTop 地図はこちらから