第16回     水野勝成の遺したもの (16)

  
 全国屈指の名城  福山城

発掘調査中の駅前

 JR福山駅南口に地下駐車場が整備されることとなり、昨夏(2006年)、駅南側の福山城外堀とみられる遺構が試掘され、今年(2007年)の二月十四日から、本格調査が始まった。
 福山城は元和八年(1622)に、水野勝成が備後に入封してきて新しく建てた城であり、近世築城術の粋をつくした最後の名城として、その名を馳せた城である。
 当時戦国時代が終わり、一国一城令のもと全国的に城の取り壊しが相次ぐ中、新たに城が築かれることはなかった。しかし勝成は家康の従弟にあたり、しかも福山城は西国鎮衙の任を負った西日本で初めて配置された譜代大名の城郭である。取り壊し中の伏見城の門や櫓を移築するなど幕府の後押しもあり、石高十万石の大名の城としては破格の三十万石に匹敵する規模で築城されたのである。
 しかし、明治維新の折り、城郭の多くの建造物が取り壊され、外堀・内堀ともすべて埋められてしまった。
 優美さを誇った天守は戦災で焼失してしまったが、昭和四一年に旧時の面影が再現され、その他の建造物も復元されたが、城郭は本丸・二之丸を残したのみで、外堀・内堀、それに挟まれた三之丸はすべて失われ、今ではその外郭を想像することさえ難しい。

 堀の行方と子どもの未来

福山駅北側の石垣

 国内に城は多いが、天守があるのに、堀が全く残っていない平山城というのは珍しい。かつては名城と謳われ、天守も復元されているのに、内堀さえもない現状が、福山城の価値を貶めているのは否めないだろう。
 商業施設の密集する都市中心部に今さら内堀復活は望むべくもない。しかし、せめて堀の遺構なりとも、福山城の栄誉と共に後世に繋いでいきたいものである。
 昨今、駅前再開発が進み、堀の遺構があちこちに出土してきている。
 二〇〇五年には、城の東側のマンション建設予定地から、大規模の外堀の石垣が見つかった。しかし三カ月ほどの調査の後は、取り壊されてしまった。せめても望みは、石垣の一部が吉津町の実相寺に運ばれ、石垣として再び蘇ることができたことである。しかし、一度失われた歴史の一端は永久に戻ってくることはない。
 このたび出土した駅南側の遺構の保存について、市教委は可能な限り残したいとしており、福山市は破壊される石垣についても、一部を使って、ほぼ真上にあたる場所に見晴らし台を設け、外堀の雰囲気を伝える案などまとめている。
 二〇〇八年度末の完成を目指すそうであるが、少々遅れても、未来の福山の子どもたちのためにも、歴史をしっかりと語り継いでいけるだけのものを遺していかなければならないのではないか。
 子どもたちが、誇りと夢を抱ける町であってほしいと願う。
(その後、貴重な御水門跡の遺構が出土し、その保存を巡り10万人の署名が集まった。市は一部計画を変更し、完成は2011年7月にずれこんだ。御水門跡は埋め戻し、他の多くの遺構を破壊し造られた地下駐車場の上には、石垣らしきモニュメントが新設されている。本格保存は、未来に委ねられている。)

   

備陽史探訪の会
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