第14回     水野勝成の遺したもの (14)

  
 福山に国宝あり

明王院五重塔

 広島県下で国宝指定されている文化財は十九件、そのうち十二は厳島神社にある。残り七件のうち二つが福山市にある。
 明王院本堂と五重塔だ。昭和二十九年に五重塔が、昭和三十九年に本堂が国宝指定を受けている。
 本堂は鎌倉時代(一三二一年)に建立され、瀬戸内地方に現存する最古の密教本堂である。五重塔はその二十七年後の南北朝時代に勧進された。
 明王院は八〇六年弘法大師によって開基されたと伝えられているが、当時は「常福寺」と呼ばれていた。現在の呼び名である「明王院」はもとは、城下にあった寺院である。
 水野勝成が流浪時代、本庄村青木ケ端に住む住職と知己となり、福山城築城の地鎮祭に、この僧を導師として招聘した。その後、城下の造成が進んだ一六三九年、城の南側に「明王院」を建立し、彼を住職に迎えた。しかしさらに干拓が続き城下が広がると、「明王院」は城下の中心に位置するようになったため、三代目勝貞が草戸の「常福寺」境内にこれを移転させ、以後明王院と呼ばれるようになったという。この時、移築された「明王院本堂」が現在の護摩堂であり、福山市の重文となっている。

 遺したものはモノではなく

明王院本堂

 深い緑に朱色が艶やかに映え、その端正な外観に思わず嘆息してしまう五重塔。しかし、その美しさは決してカタチからのみ生じているのではないだろう。
 五重塔は、一文勧進(一般の人の寄付)を積んで、建てられた塔である。市井の人々の信仰心から生まれた貴重な遺産といえるが、この五重塔が国宝となるには、勧進した人々よりさらに強い後世の人々の信仰と熱意もまた必要なのであった。
 元和六年、福山城築城が急がれていたその年、集中豪雨がこの地を襲い、岸崖が崩壊し山崩れが起り、堂宇が倒壊するなど「常福寺」は決定的な被害を被った。当然、造成中の城も城下も壊滅的状態であった。しかし城と城下町の完成が急務であったにもかかわらず、勝成は「常福寺」の由緒と本建造物の貴重さを理解し、被害箇所を正確に復元するように古材を使って修理するなど本格的な修復工事に着手し、翌九年には再建を果たした。
 この時の丁寧な大修理がなかったら、今日国宝に指定されることもなかっただろうと言われている。
 そして、今年(2007年)一月には福山市消防団による文化財消防訓練が行われた。多くの人々の寄付によって造られた五重塔を、二七〇年を経て勝成が守り抜き、六百年以上経た今なお地域の人々の手で守り続けられている。
 遺された財産は、建造物ばかりではない、悠久の時を越えて継がれてきた人々のこころである。今、改めて国宝のもつ真の意味・意義を考えてみたい。 

   

備陽史探訪の会
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