第13回     水野勝成の遺したもの (13)

  
 瀬戸の春を楽しむ

医王子鐘楼

 鞆には悠久の歴史を肌に感じさせる何かがある。
 与謝野蕪村が須磨浦海岸にて詠んだ句「春の海 ひねもすのたりのたりかな」は有名だが、この句で思いうかべるのは、なぜか鞆の浦である。小さい頃から親しんでいる、その風景が「のたりのたり」の句感にぴったりくるからだろうか。
 海も景色も空気さえ、ゆるゆると旅ゆく者を包みこんでくれる。そんな春の鞆を訪れるたび、必ず寄りたくなるのが医王寺。鞆で二番目に古い寺で、平安時代(八二六年)空海が開基したと伝えられる真言宗の古刹である。
 山門をくぐり、石段の途中で後ろ振り返ると、桜の枝越しに銀色に輝く春の海。その瞬間、寺の縁起より、目の前の絶景に心は奪われてしまうのだ。
 背下の風景に心残したまま、境内まで上りきれば、眼下に広がる鞆の街並みと瀬戸の海。遠く燧灘では東西からの潮流がせめぎあっているのだろうが、ここから眺める海は鏡のようにどこまでも平らである。
 鐘楼下のベンチに座れば、今なお江戸時代の面影を残す鞆港が一望できる。湾から出ていく小舟の白い軌跡は長く弧を描き、上空から鳶の鳴き声。静かさがしんしんと体に染み入ってくるままに、永い歴史を纏った風景に抱かれていると、縮こまって擦りきれた心が、ゆっくりと蘇生されていくのだ。
 夕暮れ時、名残を惜しんで、鐘楼を離れると、鞆の海を背景に、見事に風景に溶け込むその姿にまた心が揺れる。
 歴史の奥深さ

医王子鐘楼より鞆を望む

 医王寺の中でもとりわけ心を寄せている鐘楼。それが水野勝成の寄進だったと知ったのは、ごく最近の事である。
 梵鐘は鞆の漁師、平村の仁右衛門が長い間苦労して鋼を集め鋳造した。これを聞き及んだ勝成が鐘楼を寄進し、一六四三年の正月に完成した。
 血なまぐさい戦場で戦いぬいた勝成は、また信仰に厚い人でもあったそうだ。十六歳で遠州高天神城に攻め入った時、本丸にあった天神社の御身体を奪い、以後合戦には肌身につけて守本尊にしたという。
 寺社を城下に多く招き、また手厚く保護したのは政治的配慮もあっただろうが、多くの神社仏閣にまつわる話を知るにつけ、信仰心の厚さはほんとうであったのだろうと感じられる。
 現在の鐘楼は勝成の寄進後修復されたものであり、梵鐘は戦時中供出され、近年新造されたという。歴史的価値はそう高くないかもしれないが、古刹の中にあって、なお歴史の奥深さを感じさせてくれるのはなぜだろう。
 悠久の時を刻んだ鞆の風景がかけた魔法だろうか、それとも鐘楼と梵鐘に込められた精神の気高さゆえか……。

医王子山門 (春には櫻が咲いて美しいです)

   

備陽史探訪の会
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