第11回     水野勝成の遺したもの (11)

  
 奇祭   ほら吹き神事

ほら吹き神事
ほら吹き神事  (福山市新市町)

 二月三日、各地の神社で節分祭が行われる。毎年、参加する方も多いのではないだろうか。
 新市の吉備津神社のほら吹き神事は、全国的にも珍しい節分祭として有名である。
 その日、宵の頃より境内のあちらこちらに篝火が焚かれ、家族連れあるいはご近所さん同士が慣れた道筋を社殿前へと集まってくる。闇が濃さを増すごとに人の数もどんどん増えていき、豆まきの頃には、社殿前は大勢の老若男女で埋め尽くされてしまう。
 威勢よい豆まきが終わると、参拝者は境内のほら吹き会場へ移動する。燃え盛る焚き火と振舞い酒で暖を取りながら、保存会のメンバーを中心に飛びだすほら話を腹の底から楽しむのだ。ほら吹き神事の起源は定かではないが、他所ではみられない鎌倉時代から続く奇祭である。
 吉備津神社は備後国一の宮と称された古社で、本殿は国の重要文化財に指定されている。
 大同元年(八〇六年)備中一の宮(岡山の吉備津神社)より分祀されたと伝えられており、神社社家の末裔とされる宮氏は、室町から戦国時代にかけて、備後の有力な国人であった。備後の国を支配するには宮氏を手中にしなければならないと言われるほど、この地に勢力を広げており、その中核が吉備津神社であった。室町時代に都市としてまた城郭として機能していたが、宮氏の惣領家が戦国時代のはじめに断絶し、以後の荒廃は著しいものであった。
 祈りの場は集いの場

吉備津神社本殿 (福山市新市町)
吉備津神社本殿 (福山市新市町)

 勝成は、備後国最大の霊祠である当神社の頽廃を憂い、慶安元年に、できる限りの良材、技術をもって本殿、拝殿、神楽殿などを再建した。
 備後各地の荒廃した寺社を意欲的に再建した勝成であるが、それは、神仏に対する崇敬ばかりではなかったように思える。寺社が荒れると人心も荒れるという信念、つまり、信奉される地域コミュニティの核施設を保護・整備をすることで領民の信頼を得、人心を掌握し、同時に地域の活性化を促そうとしていたのではないだろうか。
 現代においても各地に多くの神社があるが、その荒廃の度合いは様々である。氏子や近隣住民が鎮守神や氏神を崇め、しっかり管理・維持している神社は、地域コミュニティの核としての機能もよく果たしており、そういう地域の暮らしには活気が感じられる。
 勝成の施した保護政策は、結果として多くの寺社の歴史を後世へとつなげることになったわけであるが、彼にしてみれば、建造物を遺す使命など微塵も感じていなかったのではないか。彼の本意は民の安寧と繁栄にあったように思う。
 「一宮さん」と親しまれている備後吉備津神社の節分祭の人の熱気とほら吹き神事を盛り上げようとする地元の人々の熱意に、歴史を紡ぎ継いでゆくのは、あくまでも人の力なのだと痛感した。

ほら吹き神事 (福山市新市町)
ほら吹き神事 (福山市新市町)

   

備陽史探訪の会
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