第10回     水野勝成の遺したもの (10)

  
 風情ある沈下橋

下郷橋(福山市駅家町)
下郷橋(福山市駅家町)

 十年ほど前になるが、他県の友人を車に乗せて芦田川の土手沿いを走っていると、感嘆の声を挙げ
「ここらへんにはチンカバシがあるんだねえ」
と川の方を指差した。
 その先には、欄干がない車一台ようやく通れる幅しかない小さな橋が見えた。まるで川面に道がそのまま延長されたような、ことさら橋の存在を誇示するでもない、その控えめな姿は、黄昏時の川辺に穏やかにしっとりと馴染んでいた。それはまた、小さな頃から見慣れた川の風景であった。
 沈下橋、すなわち増水時に水中に没してしまうように設計された橋のことで、欄干がないのが特徴である。川面をゆく流木などが欄干に引っ掛かれば橋はたやすく倒壊してしまう。川の流れに抵抗するより、水中に没して急流・激流をやり過ごす方が容易である。裏を返せば、沈下橋のある川は増水のたびに河川敷まで水浸しになるということだ。
 芦田川は天井川である。天井川は、上流より流された土砂が積もり、川床が周囲の平野より高くなっている川で、大雨のたびに洪水被害が出る。芦田川もその例に漏れず、幾度となく府中や福山に洪水被害をもたらした。福山の歴史は芦田川と寄り沿いながら、同時に立ち向かわなければならない歴史でもあったのだ。最近では、平成十年、洪水被害軽減を含めて八田原ダムが建設された。
 天井川は、自然であるべき川の流路を無理やり固定した場合にできる事が多いという。ならば、これも水野勝成が遺したものなのだろうか。

 芦田川の礎を築いた勝成

福山市ゴルフ倶楽部(中津原ゴルフ場)
福山市ゴルフ倶楽部(中津原ゴルフ場)

 現在、中津原の河川敷にはゴルフコースがある。土手沿いを走っていると、道が大きく湾曲しているため、見るともなしに目に鮮やかなグリーンの芝やゴルファーたちの姿が目に飛び込んでくる。この見事なヘアピンカーブは決して自然にできたものではなく、水野時代に築きあげられたものである。
 福山城下を造成するにあたり、当時南東の方向に流れていた芦田川の流路をどうにかしなければならなかった。勝成は、府中から南側の山よせに蛇行していた川筋を一直線にして東につけかえ、中津原のところで直角に南下させた。この流路は、近年改修工事が行なわれるまで、大きな変化をみることはなかった。
 流路が固定されたことで、芦田川は暴れ川の名を欲しいままに氾濫を起こし、各所で氾濫、決壊を繰り返したのである。中世、あれほどの繁栄を誇った草戸千軒もたびたびの被害にあい消滅していった。
 もし、勝成がこのような工事をしなかったら、芦田川は暴れ川にはならなかっただろうか。否、勝成の飽くなきチャレンジ精神があったからこそ、先人たちは芦田川に挑み続けてこれたのだと信じて止まない。

福山市郷分町と福山市御幸町にかかる羽賀橋

   

備陽史探訪の会
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