第8回     水野勝成の遺したもの (8)

  
 元祖・道の駅?

沼隈の花咲堂
沼隈の花咲堂

 一般道をドライブしていて助かるのが「道の駅」である。ここに行けば、トイレだけでなく食事処、土産物、付近の案内図までも保証される。見知らぬ土地では、「道の駅」の表示を見つけると心易くなる。
 ところで、備後の辻堂の数は相当なものらしく、記録措置等を講じるべき無形民族文化財として選択されている。
 辻堂は元来、住民の気楽な集会場所であり、農作業の休憩所なのだが、備後の辻堂は少し事情が違っている。
 水野勝成が「笠岡往還の辻の坂にさしかかったところ 突然豪雨に逢い道端の野小屋で雨宿りした。これを機に藩内の主要な辻に休み堂を作らせた」という記録が残っており、「領内一斉に建築せしものにして、すべて同一形式」なのだそうだ。
 主要な街道沿いに作られた旅人たちのための休み処。まるで現代の「道の駅」のようではないか。街道をゆくのは今は車だが、昔は徒歩である。酷暑や通り雨、疲労……街道沿いに設置された雨露しのいで横になれるその「休み堂」は、旅人にとってどんなに心強かっただろう。放浪生活の長かった水野勝成らしい施策ではなかったろうか。


 熊野路に辻堂あり

熊野町にある六本木堂
熊野町にある六本木堂

 福山沼隈線を六本堂にて鞆方面へ折れると、古を偲ばせる風景にとけ込むように建っている辻堂や常夜灯を目にする。その昔、城下と鞆を結ぶこの街道を旅人たちはどんな思いを抱いて往来していったのだろう。「花咲堂」でひと休みしながら自然の風趣を堪能していると、心は易々と三〇〇年の時を越えていく。
 熊野町誌によれば熊野地区の辻堂は元禄十三年(一七〇〇)十七堂だったものが、昭和五九年(一九八四)には八堂に減っている。それでも備後圏には今日でもまだ多くの辻堂が残されている。焼失後再建したり、たびたびの修復を重ねて、元のままという堂はないかもしれないが、街道沿いにこれだけの辻堂が残されているというのは誇るべきことだろうし、その保存に努めてきた地元の人たちに敬意を表したいと思う。
 古さや現物保存を誇りにするのもいいが、時を経てもなお地元の人々に親しまれている辻堂の存在に、私は郷土の未来の明るさを感じるのである。
 領内すべて同一形式ということで、だいたい似通っているが、熊野「六本堂」のみは別格である。水野藩主が領内巡視の際の休憩所として特に常国寺持山の木材をもって建築された。昔は殿様の「お休み場」と称し、従者は横の荒神社で休み、馬は今の熊野小学校のところにつないだと伝えられる。辻堂には珍しく柱が六本あるので六本堂と俗称され、地名にもなっている。
 現在の堂は、昭和四六年に再建されたそうだ。

(辻堂については、今後「備後の四ツ堂」シリーズとして各地の堂を紹介していきます) 


   

備陽史探訪の会
バックナンバー HOME クラブTOPへ ▲PageTop 地図はこちらから