第7回     水野勝成の遺したもの (7)

  
 意匠にこだわる福山とんど

仁伍のとんど  ソラ ヨーイヨーイ、ヨーイヤナー、ハラリャー、コラリャー、ハーヤアトエー
 節が自然に口をついて出てくる。我が家の「福山とんど音頭」のレコードは久しく行方知れずであったが、このたび知人より曲を送ってもらった。懐かしい歌を聞きながら、脳裏にはとんどの姿が鮮やかに像を結ぶ。
 壮麗なとんど飾りが天を突き、櫓に立った法被姿の囃手が音頭を取る。青い空を背景にした勇壮なその光景に、重なるソラ ヨーイヨーイの掛け声。
「仁伍のとんど(2007年のもの)」


 近代化で街に電線が縦横無尽に走るようになると、とんどの引き回しは中止され、次第にとんど祭りは衰退していった。時の流れとはいえ、独特の歴史を持つ福山とんどが街から消えてしまったのは、嘆かわしいことである。
 とんど焼きは年中行事のひとつとして正月に全国各地で行われているが、デザインの勇壮さを競う福山とんどの発祥は元和九年の正月、水野勝成の福山城入城の時より始まったとされる。
 その日、入城を祝い、領民たちが深津の裸とんどに因んで、各種の飾りをつけて、城下をとんどをかついでまわった。特に縁起のよい鶴亀を飾った吉津のとんどは見事で、勝成はたいそう気に入り、以後、毎年意匠を競うとんど祭りをするように命じたという。
 今でも、代表的な福山とんどといえば、まず吉津の鶴亀とんどがあげられる。他にも上魚屋町の懸鯛、下魚屋町の伊勢海老、笠岡町の諫鼓鶏の意匠が勝成の賞賛の受け、町の誉れとして毎年同じ飾りをしたそうだ。


とんどの絵 とんどの絵
明治20年ごろに作っていた、吉津町等のとんどの絵です。


 福山とんどの復活を願って

 一度は近代化の波間に消えてしまったとんど祭りであるが、十年以上前に福山とんど復活の声があがり、各町や団体で少しずつ活動が広がりつつある。
 シンボルロード整備事業で「きたはま通り」の整備が完成したのを祝い、二〇〇六年五月式典が開かれた。この時に、福山とんどが二基復活された。一基は高さ約十五メートルの吉津とんど、もう一基は船町のシンボル意匠である宝船飾り。旧中国銀行船町支店の前に展示された吉津とんどを目の当たりにして感慨をもった人も多いのではないだろうか。
 現在、通りの両側の建物の壁面には各町のとんど飾りを描いたプレートが埋め込まれている。意匠を見ながら、そぞろ歩くのも一興である。
 今年も一月八日から十四日にかけて、市内のあちこちでとんどの火祭りが行われた。着実に新しいとんどの歴史は紡がれている。
 市の中心部では電線の地下埋設が進んでいる。将来、冬空を背に十メートルを越す福山とんどが大通りを練り歩く光景を見られるようになることを願ってやまない。


プレート プレート
現在の「きたはまとおり」に飾られているプレート


    

備陽史探訪の会
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