第6回     水野勝成の遺したもの (6)

  
 歴史に埋もれた川

福山市本通り 木綿橋跡付近

福山市本通り 木綿橋跡付近


 本通りの一角に、はぶ文泉堂という文房具屋さんがある。かわいらしい筆記具や色とりどりの色画用紙、洒落た雑貨……、見るだけで楽しめるその場所が子供ながら大好きで、、よく通ったものだ。今ではアーケードが新しくなり、通り全体もモダンな感じになったが、長く親しんできた風景には違いない。
 その南側の道路が、数年前、青く塗られ、驚いたことがある。シンボルロード整備事業の一環で、橋の記念モニュメントもあり、川の雰囲気を創出しているのだが、無数のタイヤに踏まれ濁った青色の路面に違和感を感じてしまうのは私だけだろうか。
 どんな色だったかはわからないが、江戸時代ここがお城の外堀まで続く入川だったのは事実である。
 入川には二つの橋が架けられ、城下の南北を結ぶ幹線道路となっていた。そのひとつである新橋では、船で運ばれてきた様々な品物が荷揚げされ、たいそうな賑わいをみせた。特に橋の南側に木綿を売買する店が並び、橋のたもとは木綿の市で賑わった事から木綿橋と呼ばれるようになったという。
 昭和13年に埋め立てられる直前まで荷揚げ場として機能していたようである。それは、まさに江戸時代から300年受け継がれた日々の営みであった。

 福山の特産品が生んだ「木綿」橋

本通木綿橋モニュメント

 関西に居た頃、「株式会社神戸市」ということばを友人から聞いたことがある。お役所ながら経営手腕に優れていることを表現したことばだったと記憶している。(むろん「株式」はご愛嬌である)
 福山の開祖である水野勝成も然り。さしずめ「株式会社福山藩」といえるのではないか。
 着々と進む造成工事。城を作り、土地を作り、上水道を作り……。さて、次は何をする?
 町ができれば、住む人が必要である。そして経済基盤となる産業と流通が必要である。
 町の東には城下の守りを固めるため領内の寺を誘致したり、神島の市場をまるごと城下の一等地に招聘したり、はたまた開拓者に土地を無償で与えたり、福島氏や毛利氏の家臣であろうと有能であれば登用するなど、一挙にマンパワーを城下に引き入れていった。
 政治的配慮も考えながら人集めを進めた勝成が施した経済政策のひとつに、特産品づくりがある。備後畳表のイ草作りを保護したこともそうであるが、木綿の栽培も奨励した。干拓地の塩分のある土地でも栽培できる点や、雨が少なく日照時間が長いという備後の気候、肥料となる干鰯が沿岸で捕れるなどの条件が、木綿作りに適していたのである。
 この木綿作りが、新橋の賑わいを創出し、木綿橋という名前を生み出した。さらに、備後絣の開発につながり、時代を経て、福山の主要な地場産品の地位を占める繊維製品の隆盛へとつながっていく。
 昭和時代まで市井の中に生き続けた木綿橋であるが、私の記憶には橋も川もない。母は橋上を三輪車で激走したことがあるらしく、今も懐かしげに木綿橋の事を語ってくれる。木綿製品と共に、木綿橋の話も後世に継いでいけたらと思う。

本通アーケード

現在の本通アーケードを飾る 「木綿橋」 の横断幕

   
    

備陽史探訪の会
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