第4回     水野勝成の遺したもの (4)

  
 冬の風物詩、くわいの収穫
くわい

福山特産 くわい


 お正月料理に「芽が出る」縁起物として欠かせない「くわい」。福山のおせち料理の定番であり、子どもの頃、年末になると、こたつを囲んで皮むきをした思い出が懐かしい。小粒なくわいがどっさりだったので、皮むきは結構手間がかかった。肝心の芽が、皮むき完成の直前で、ぽっくり折れてしまうこともよくあり、なかなか手間のいる作業だ。
 小さい頃はあまり好きではなかったが、しばらく福山を離れていると、冬になると無性にくわいが食べたくなった。今では、おせち料理の煮物だけでなく、から揚げにしたりと、冬の欠かせない食材である。
 さて、例年11月半ばを過ぎると、市中のあちこちでくわいの収穫風景を見かける。
 寒風吹く中、冷たい泥の畑に入って、ポンプの水圧を利用した重いホースを使ってのくわいの掘り起こし作業は重労働。後継者も育ちにくいだろうが、いつまでも福山の冬の風物詩であってほしいと願うのは消費者の身勝手であろうか。


くわいの収穫 くわいの成長
出荷量日本一を誇る福山特産のくわい
福山新涯町 くわいの収穫風景
青々と元気に成長しているくわい
くわいの実は田の中

 出荷量日本一を誇る福山であるが、意外にもくわい栽培の歴史は浅い。もともと千田町辺りの沼地に自生していたものを明治の初めごろ福山城のお堀に植えたのが始まりといわれいる。その後木之庄や蔵王辺りで作られ、現在栽培の盛んな川口町、新涯町、曙などの市南部は、戦後になって作り始められたそうである。
 そのくわいを栽培するこの土地はどんな歴史を持っているのだろうか。

 風景の中に眠る歴史たち

 川口町と新涯町の間に汐廻川という名前の川がある。これは、水野時代の干拓事業の名残り「潮廻し」の名をそのまま今に伝えている。
 江戸時代の干拓方法は、まず沖に向かって平行に堤防を伸ばしていき、次にその二つの堤防の端をつなぐように石積みをしていく。そして干潮時、干潟から海水が引いた時に、一気に潮止めをしてしまう。しかし、潮止めの堤防を作っても、海水の塩分が堤防の内側に染み出してくるため、潮廻しにこれを溜め、引き潮にあわせて海に出す。
 川口新涯は寛文11年(1671)、四代目勝種の時代、新涯は慶応4年(1868)で明治維新直前の造成。かなりの時代の隔たりがあり、その分、潮廻しも永く機能していたということだろうか。
 前回までに、旧福山市はかつて海で、水野勝成が干拓した土地だと述べてきた。勝成と二代目勝俊の治世は、巨額の藩費を投じて、治水・干拓事業を継続して行なったが、その後も干拓は行われていたようである。

汐廻川

福山市川口町と新涯町の間を流れている 「汐廻川」

   
 現在も市中には多くの川が干拓地を横切るように通っている。これらも潮廻しの跡であろうか。町の風景に溶け込んでいて全く気づかないけれど、こうした干拓当時を偲ばせる施設は、案外他にも残っているのではないだろうか。
 温故知新ではないが、先人たちがこつこつと築きあげたきたこの福山の土地を、今改めて尊敬と感謝の思いで眺めてみると、折々の季節の中に新しい何かが見えてくるかもしれない。

   

備陽史探訪の会
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