第3回     水野勝成の遺したもの (3)

  
 能は気軽に楽しもう

喜多流 大島家の演能  (沼名前神社能舞台)


 毎年11月、沼名前神社の能舞台で喜多流大島家の演能が催された。演目は毎年異なるが、2007年は『八島』であった。修羅物の傑作とされている作品で、唯一義経がシテの能である。
 この年、特別な想いをこめて鑑賞した。
 島原の乱の時、七十五歳の水野勝成は息子勝俊と出陣し、孫の勝貞の活躍を見ながら、自ら討ち取った敵の首級を槍先に貫き、「八島」を舞ったという逸話がある。なるほど、力強さ、勇壮さを好んだ勝成が得意としそうな能である。
 前段、老翁の回顧談は静かで、遠い目線の向こうには、屋島の打ち寄せる波音が聞こえてきそうな裏悲しさがある。後段、義経の亡霊が出てきて雰囲気は一転。刀を抜き、鋭い気配を放ちながら、激しく戦う。しかし、その雄々しさの中に、一抹の切なさや戦に挑む厳しさ、修羅道に落ちた義経の苦しみが感じられ、胸につんとしたものが込み上げてきた。
 能の知識はほとんどないが、能は楽しいものだと感じた。決して敷居は高くなく、絵画や映画、その他の舞台を観るように、わくわくと心躍るようなおもしろさがあるのだ。
 若い頃は、とかく新しさやカッコよさに魅かれていた。今にしてみれば、その物の本質を見抜いていたわけでもなく、ただうわべの見てくれに幻惑されていたにすぎないのだと恥じることも多い。小さい頃から「本物」に触れて育つということはとても重要だと思う。
 福山では、夏の福山八幡宮、秋の沼名前神社と、年二回も市民に開かれた能の公演がある。地方都市としては多い方ではないだろうか?

南側より見る沼名前神社能舞台


 能好きスピリッツは健在する  

 沼名前神社にある能舞台は、全体が組立式となっており、いつどこでも移動して組立使用できる構造となっており、国の重要文化財である。鏡板に薄く残る松と竹は当初のもので、桃山時代の仮説的な初期能舞台の特徴をもつ貴重なものである。
 もとは、伏見城内にあったものを、福山城築城の際、櫓や筋鉄御門と共に勝成が伏見城から譲り受けたものと伝えられる。三代勝貞の時に鞆祇園社(現沼名前神社)に寄進された。現在は橋掛りや楽屋等を加え、固定式にされている。
 水野勝成は鬼日向と呼ばれた百戦錬磨の荒武者であったが、幼少の頃から文芸にも親しんでおり、俳諧、能、書画など、芸能にはひとかたならぬ素養があったようだ。この伏見の能舞台でも多くの演能をし、自らも舞いをみせたという。家臣にも多くの修得者がおり、水野時代、能は広く親しまれていた。
 喜多流始祖七太夫は福山まで来て勝成の御前で舞った事があるそうだ。そしてそれよりずっと時は下り、ひとりの福山藩士が喜多流に師事し、能楽家となり福山に喜多流大島家を興した。福山藩では能が愛好され続けていたのだろう。
 現在、市下のいくつかの幼稚園や小学校では、能授業や体験学習など取り入れられている。
 福山には日本で唯一の組立式能舞台がある。そして江戸時代からの伝統芸能がある。ふたつとも、能を愛好する心と共に、未来へ継承していくに充分価する遺産である。
 これから何十年も経た後、福山市民に、能がもっと身近になっていることを願う。 


南側より見る沼名前神社能舞台

   
   

備陽史探訪の会
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