第1回     水野勝成の遺したもの (1) 


 遺産は、どこにいったのか

 1945年天守・湯殿は福山大空襲で焼失。1966年福山市の市制50周年記念事業として天守、月見櫓、御湯殿が復興現在に至る。

 世界遺産の登録は年々増えており、日本でも、姫路城や京都の文化財、屋久島、白神山地など多くの自然や文化財が登録されている。世界に誇るべき遺産があるということは、喜ばしいことである。
 しかし、世界遺産に登録された数々の自然や文化も、その地の人々が祖先から大切に守り受け継いできた遺産のほんの一部にすぎないのだ。遺産を遺産たらしめるのは、自分たちの暮らしの中に受け継がれている自然や文化、生活をしっかりと認識し、理解し、愛着を持って後世に継いでいこうという、その気持ちである。
 現在世界遺産に登録されているエジプトのアブシンベル神殿でさえ、荒廃の治世には砂に埋もれ忘れ去られ、近代においてはダムに水没するところだった。守る人々がいたからこそ、今がある。
 アブシンベル神殿には及ばないまでも、備後にも先人から受け継いできた有形・無形の多くの財産がある。しかし、福山でもっとも受け継ぐべき大切なものを、遠い歴史の狭間に置き忘れてしまっているのではないだろうか。
二の丸上段東側に建てられている水野勝成像

二の丸上段東側に建てられている水野勝成像

 福山のルーツはどこにあるのだろう。どういう経歴をもっているのだろう。福山の街が、実は何もない場所に一から作りあげた城下町だったということを知っている福山人は何人いるのだろうか。
 私が「郷土」を意識したのは、帰省後のことである。以来、縁あって地元の歴史に接する機会も多く、知識も少しずつ増えていった。それらはまた、幼い頃より見知った場所や思い出と交わりながら、私の中に生き生きとした昔日の像を結んでいった。そして、福山の街そのものが、水野勝成の大いなる遺産なのだと思うようになった。   
 世界遺産のような、大げさなものでなくても、日々の営みの中で、あるいは日々の風景の中に、古の人々から脈々と受け継いできたもの。それこそが、もっとも大切な遺産である。今、私たちが受け継ぎ伝えるべきものは、400年前、葦の原だった海辺に、福山という町を作りあげた人々の気概であり、未来を想う熱い気持ちであり、そして自分たちの郷土に対する誇りと愛着である。

 ばらの町ふくやまを知る人は多いが、城下町ふくやまを知る人は少なくなっているように思える。
 江戸時代の度重なる転封や近代化の波により、人々の出入りも多く、その意志を継ぐ層が希薄になったせいもあるかもしれないが、自分の住む町の歴史を顧みないのは、すなわち町に未来がないのも同然である。
 備後近郊に散らばる水野時代の遺跡を訪ねながら、ひとりでも多くの人たちが郷土人の誇りとアイデンティを取り戻せたらいいと思う。


備陽史探訪の会
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