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| サルスベリの大木の紅が、非常に美しい水面に映えていたら…、すばらしい景色になるのに… ↑ マウスオン |
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| 山肌が目についたが、災害の心配はないのだろうか…? ↑マウスオン→ |
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| 池の周囲の景色 ↑ マウスオン |
道の傍にもお地蔵さまが…↑マウスオン |
流れ込んだ土砂で丘が出来ている |
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| ↑ マウスオン お社と堤を彩る「桜の木」。 ↑ マウスオン春には花見客で賑わうが、どれもかなりの樹齢のようだ… |
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| 桜堤の対岸の池の端には人家が並ぶ。「服部川」からの水が流れ込む…… ↑ マウスオン |
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寛永二十(1643)年に、福山藩初代城主・水野勝成が旱魃対策として、総奉行神谷治部に命じ、福山領内九郡・二百四十ヶ所の百姓を夫役として総動員し、服部川を堰き止め周囲約四km、備後最大のため池(服部大池)を築造することになった。ところが、大変な難工事で、当時の習しとして、水神さまに「人柱」を捧げて、「末代までの土手の安全」を祈願することとなり、病気の母親に代り、人夫として夫役に出ていた十六歳のお糸が『着物に横つぎが当たっていて、未婚の娘』という理由に当てはまると選ばれ、堤の底深く、生き埋めにされた。
そして、大池は二ヵ年を費やし正保二(1645)年完成し、近隣20ヶ所の田畑を潤したという。
ところが、お糸には恋人がいたのだそうです。若者は毎夜池の堤でお糸の名を呼び、ついにはお糸の後を追い、池に身を投げてしまいました。
それを知った人々は、お糸と若者の霊を慰めるため、池の辺の丘に弁財天を祀り、その辺に松と槙を植えました。この二本の木は、お糸と若者の姿であるかのように根と根が絡み合い、枝と枝がもつれ合って大きくなり、『比翼の松』として、「人柱お糸」の話と共に語り伝えられました。
語り継がれている歌…… 「備後一かや 服部大池は かあいやお糸が 人柱 |
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昭和50年代に落雷で倒れた木は、
原型を留めておりませんでした。
今は残された切り株(根の一部)が、
ご神体として祀られ
地元の人たちに
「お糸大明神」と呼ばれて、
手厚く祀られています。 |
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「お糸大明神」の傍には、お糸を称える石碑と誰を供養しているのか…、数体のお地蔵様。そして、新に松が植えられていました。
後ろの丘の上には水神さまが祀られ今尚信仰の対象になっています。
丘は所々に「コマツナギ」が自生しており、深紅の小さな可愛い花を咲かせていました。
池の傍には公園も作られ、近所の親子が遊びに来ていました。その公園にも「お糸の彫刻」があり毎月11月3日にはお糸を偲んで慰霊祭があるということです。
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| 社の向こうに池があります ↑ マウスオン |
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| お糸大明神脇のお地蔵さま |
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「自鎮福城三百年
治山治水偉勲伝
仰瞻聰敏神威儼
蕩英漾鏡湖生 漣碧」 |
「お糸嬢碑」
「松と槙
しかとむすびて とこしえに
みどりいろこく 天をつくまで」
安村 光風 |
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| 眼前に大池を臨む丘の上にも数体のお地蔵さまが…。 ↑ マウスオン |
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| 丘の上にある、水神さまを祀った社 |
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| 木々の間から大池が見える |
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| ひっそりとわき道にお地蔵さま ↑ マウスオン |
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| 取水塔の風見鶏 |
自生の「コマツナギ」 ↑ マウスオン |
お糸大明神の祭壇 |
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| こんなに良い道路が大池の傍を走っている。 ↑ マウスオン |
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| 服部大池公園のバラ花壇と「鎮魂碑」 ↑マウスオン |
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| 「人柱お糸の像」 ↑ マウスオン |
「忠魂碑」 ↑ マウスオン |
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| 駅家町「服部大池公園」昭和49年5月竣工 |
バラ花壇↑ マウスオン |
福山のシンボル「バラ」花壇 |
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