びんごの見どころ

~今回は庄原市東城町の「お通り」を取材しました。~

■「お通り」 (庄原市東城町)             <122>

「お通り」の出陣場となった東城小学校・校庭。奥に見える建物が大名行列に出場される方々の舞台です。
武者・大名行列約50名  母衣20名 華童子(はなわらべ)20名以上の皆さんが並んでいるところです。
パフォーマンスに「神楽」があり、爺婆が出て来てびっくり!
ヤマタノオロチを退治する須佐之男命。 見事にいきり立っている大蛇
「お通り」の由来
江戸初期,広島藩家老職浅野家の五穀豊穣祈願の依頼により、川西八幡宮御神体を天神社御旅所に招き、十一月一日から五日間の祭礼が執り行われました。五日目に八幡神社御神体を八幡宮御輿に奉納し、八幡宮まで帰られる折、天神社御輿と行列を組み、町内を練り歩いたのが「お通り」のはじまりとされています。
 長尾隼人正一勝が関が原の合戦の勝利により福島正則家老として東城五品嶽城に入場した際の戦勝記念行列を偲び、行なったと言い伝えられています。
この「お通り」は十一月五日のお祭りに行なわれていましたが、「お通り」が衰退傾向であったので、平成五年より東城町商工会青年部と「お通り」保存振興会の皆さんの主催により行列を復活させようと、今年で16年目になりました。
以下,「お通り」のスナップをご紹介します。
武者が殿様一行を迎えに来て、出陣を告げます。
武者が鉄砲を撃ち出陣の合図をします。
いよいよ大名行列の出発です。
大勢の見物の人達に見守られて出発しました。
会場で待機していた「母衣」15キロの母衣です。 東城駅の広場で休憩しているところ
母衣とは
母衣とは鎧の背につけて飾りとし,戦場において矢よけに用いられた武具です。
平安時代には五幅ほどの布地で長くなびかせるように作り、室町時代からは内部に籠を入れて膨らませたものが用いられるようになった。
 その後本町では我が子の無病息災と、平穏無事を祈願して「母の衣で包む」という意味合いを持った「母衣」という装飾品として、現在のような姿に変化して来ました。
(古くは文政十三年(1830)頃のお通り御幸行列式次第にその名が残っており、今日まで連綿不断とその姿を継承しております。)とあり,本当に貴重な行列です。
東城駅前大通りを上市方面へ 下に・・・・下にと次に殿様方のお通り
重たい母衣姿の行列  花笠が幅広いので狭い商店街は道いっぱいでした。
少し小振りの母衣の行列
いよいよ殿様のお通り、その後お姫様のお通り もう一度母衣の行列
母衣の小学生の後姿。向うに見えるのは城山(五品嶽城跡)
可愛らしい華童子の行列   この行列が最後でした。
東城駅(JR)も静かになり、電車の音がしたのでカメラのシャッターをきりました。
一両の電車です。何だか寂しい感じでした。
変っていないのは川でした。昔も今もとうとうと流れる「有栖川」の姿と川瀬の音でした。来年はどんな「お通り」が見られるのか楽しみです。



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