首無地蔵 地蔵菩薩由来記
地蔵菩薩堂建立
 拝んだ人の頭の痛みが消え足の痛みが直った人が現れ始めて評判となり、山陽新聞が2、3度之を記事にした為に一層広まり、 岡山県から続々府中市を訪れ地元でありながら地蔵の存在を全然知らぬ市民を驚かせた。 県外の人は2、3時間もかけて地蔵の場所を探し当てる始末であった。 帰依者も増え始め、賽銭や供米も多くなって来た。誰からともなく花が飾られ、菓子や果物、鐘が供えられ椅子が供せられた。 事態は東氏が想像もしなかった方向に進展して行った。お堂も建てようと云う話が持上り寄付も自然に集った。 東カネコさんは7月初め自宅にこもり御堂を建てる誓いをしながら、果し得ぬ詫を地蔵に対して行っていた時、 瞬間ではあるが、一間もの丈のある女性とも見まごう素晴らしく美しい姿を拝したと云う。
 東夫妻では守し切れなくなったと判断して胡町の長谷川義光氏に後事を托した。 長谷川氏は地蔵周辺の数軒に相計り共同にて受継ぎ毎月20日の例祭や寄付金、賽銭、供米の収受等の世話を始めた。 お陰を受けたと云って世話人を探し求めて寄付して行く人が次々現れる様になった。 土地も側壁を拡張補強して御堂を建てる段階で建設に反対する人が現れ、二転三転して建立は延期された。
 9月2日の夜いやがらせに石地蔵が持ち去られる受難の一幕もあったが、 翌朝6時頃池田正人氏が100米位離れた明浄寺山農道したの叢に捨てられていたのを見付け出し事なきを得た。 持ち去って行く時に地蔵の力で石が重くなり持ち切れずに放したのではなかろうかと云う噂も実しやかに流れた
 昭和52年9月6日真言宗十輪院主に願い地蔵をやや北寄りに遷座し、コンクリートで台座を高く固めてその中に「南無地蔵大菩薩」と書いた本体を埋め込んだ。 台座に地蔵を安置し、銅板葺屋根、総檜造りのふさわしい地蔵菩薩堂を建立した。
 9月18日例祭も兼ねて地蔵堂落成の大祭を盛大に行う。当日礼拝するもの御堂の周辺にあふれ香煙高く立ちのぼり、 読経の声は晴れた丘に爽かにひびき渡った。早朝より夜にかけて続いた参拝者は1000人を越える。 接待に用意した祝の紅白饅頭500ヶと菓子並に信者が日々供えた1ヶ月4斗分の米は忽ちにして無くなり、 寄付者197名に御堂絵入りのタオルを記念として配布した。
 子供は嬉々として参り、年寄りは云うに及ばず親子ずれ、若者、大人に至るまで日々の参拝者は各層に及ぶ。 府中市近郊はもとより県外からも、早い人は早朝4時前、夜は10時前後まで続く。 休日は300〜400人に達していたが御堂落成後は之が平日の参拝人となっている。
ページトップへ
戻る 次へ
Copyright(c) 2000-2003 bingo e shotengai. All Rights Reserved.