首無地蔵 地蔵菩薩由来記
畔道に在りし石地蔵
 広島県府中市出口町胡辻高居372番地に胡町在住の池田弥一氏所有の田地があった。 池田氏は第2次世界大戦の前に出口町川上の杉原正平氏に田地を貸して稲作を為さしめていた。 杉原正平氏が病気となった為に耕作権を池田氏に返し池田氏が本格的な水稲を作り始めた。
 その当時既に田の東南隅の崖下(現在市道となっている辻高居372番地の2)に首の無いままに地蔵はあった。 池田氏が農耕を始めた昭和12年頃の事である。 海抜60米の丘の田には下手より約30糎巾の農道が上っており池田氏の田で行き止まり、 その一段上の田との段差が1米ほどあり、その踏み段用の一つにいつの時代からか不明であるが地蔵石が使われていた。 池田氏が農耕を始めるや御影石の恰好からして誰かの墓であったに違いないと判断し、 踏みつけるには勿体ないとて畔道に立てかけて置かれた。誰も祀るわけでなく知る人も殆どなかったが、 古老の話によれば或一部の人が知っていて歯の痛み等で祈願に行けば一度でおさまっていたと云う事である。 池田氏が自作農に移った為に戦後の農地改革の時に田地を取上げられないで済んでいる。
 ここより90米下方に車輌2車線の産業道路がつき、それより上に向って4米巾の市道が造成された。 海抜65米の所にある農道まで約160米の距離を3期にわけて農道を中心に拡張工事が為された。
 第3期目の工事が昭和45年頃行われた時、池田氏が府中市に分譲した田の隅にあった地蔵は他の石と共に道路工事をした土建業者の手により30米上の丘までブルドーザーで押し上げられた
 石地蔵はその間石の下積みとなったままであった。
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