首無地蔵 地蔵菩薩由来記
石地蔵誕生にまつわる説
 府中市出口町辻高居の丘に出現した地蔵尊は首のないまま地中より掘起されて昭和52年5月20日祀られてより首無地蔵と一般に呼称されている。 元々首はあったに相違なく、いつの時か倒れて首がとれたと思われるが、 この地蔵がその後数多の悩み苦しめる人々を救いつつある為参拝の人、日毎に増えゆき早朝より夜遅くまで香煙の絶え間がない。
 この地蔵を最初に誰が作り祀ったか定かでないが広島県文化財協会員で府中市の石川正六氏によれば、 芦品郡誌及福山志料に記載されている文化3年11月12日に57歳で没した大戸久三郎直純か又はその子の直憲ではないかと推定されている。
 大戸直純は42歳の時出口村の里正になっており幼時より善行が多い。 書庫を建て、貧しい家に対しては秘かに金を投じ、穀倉を建てて凶作に備え、羽中に池を作って早魃に対処し、 荒谷川に二橋を架橋し、市の藁葺屋根を瓦葺に替えるよう建策して防火に尽す等、 之等に対して自から節約して貯えた私財を殆ど投じ、その一生を市の人助けに終始している。
 よってこの地蔵が、慈悲深かった大戸氏により作られ祀られたと想像される根拠であろうが、 大戸直純親子の前、享和年間に大戸九郎兵衛なる慈善の志厚い府中の富豪が居り之又木製の擬手にて貧家に金銭を投げ入れる等の陰徳を施していたことが芦品郡誌に見え、 この人の時代の地蔵とも考えられる。
 更にこの地蔵には衣のひだらしきものが見える故且つての高徳の僧の墓であり、かかるが故に人々を救う力があると称える人もある。 又依頼した祈祷師の霊視に映じた像は美しい女性の如き姿であったと云う。 高さ35糎ほどの首の無い小さなすすけて可也り摩耗した石地蔵は、 その古い年代を物語っているが病気がなおったと云う人が現れ始め9月の大祭に見られる如く1000人を超す多くの人々を引きつける力を有する事は或は一時的現象として終るかも知れないが此の地蔵の周辺に漂う何かがある事を示している。
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