本流寺
 坂瀬川の東の方の丸沢田と山野との境の辺に「小別当の丘」と言われているところがある。
 昔々、この小別当の丘に、「金景山本流寺」という古いお寺があった。 この本流寺は、積もる年月を経て住む人もなく廃寺となっていたその頃、 源頼光という武士がある戦いに敗れて、 家来の渡辺綱・坂田金時・貞光光成・季武源馬の四天王と共に住んでおった。
 この人たちが住みょうた頃は、本流寺も寺らしい様子じゃったが、 頼光さんが死んでしもうた後は、家来たちは諸国へ修行に出たり、 別々の場所で暮らすことになったため、寺は誰も住む人がおらんようになって、 だんだん荒れていってしもうた。 屋根の瓦は落ち、しょうじは破れ、とうとう妖怪変化の住みかとなってしもうたんじゃ。
人身御供になる娘
 坂瀬川の真ん中へんに、堂ケ丸と呼ばれる小高い丘があり、そこに小さな御堂があった。
 毎年この御堂の祭には、村の18・19才ぐらいの娘を1人ずつ、 人身御供に差し出さにゃあならんようになった。
 もしも、人身御供を出さない時は、この村一帯を荒らし回ったりして村人を苦しめていたんじゃ。 それで村の人々は、泣く泣くくじびきで娘を選び、大切なかわいい娘を人身御供として差し出していたんじゃ。 くじびきで当たってしもうた娘やその家族はむごいもんじゃったそうな。 家族が泣き叫ぶなかを、村の役のもんが娘を家族と引き離し堂ケ丸の御堂につれていったということじゃ。 この犠牲になった娘は、本流寺に住みついてこの土地一円を荒らし廻っていた 妖怪変化の餌食になってしもうたんじゃ。ほんに、むごい話じゃのう。
真夜中の狸おどり
 本流寺に妖怪変化が住むようになって、 何物かが夜な夜なこの堂ケ丸の御堂の辺に出てきて、 唄ったり踊ったりしょうるという噂がたったが、 恐ろしゅうて、それを見たものは誰もおらなんだ。
 ある日のこと、以前、本流寺に住んでいた坂田金時が、 諸国に修行に出ていてこの辺を通りかかり、日が暮れたので御堂に泊まっていた。
 真夜中近く、御堂の外で奇妙な唄声がするので目が覚めた。 あやしい唄声と思い、そっと外を覗いてギョッとした。 身の毛もよだつような大きな古狸が、手足を振り、地ひびきをたてながら、
と、唄い踊っておった。
金時は
「さては、この古狸か。村の娘を食らようたやつは。」と思い、ずっと見ておった。
 夜が明けるのを待って、金時は庄屋さんの家に行き、 昨夜の不思議な恐ろしい様子を語って聞かせたんじゃ。 金時が目撃したことで、坂瀬川の娘たちを餌食にしていた物の正体が、 やっとわかったんじゃのう。
権吾呂太夫と権の守
 庄屋さんは、さっそく村の衆を大勢集め、金時から聞いた話を語り、どうしたものかと相談した。
 狸が唄ようた中の「権吾呂太夫」という人は、出雲の国の人でのう。 諸国で暴れているどんな鬼や悪魔でも、その威光をもってとり静めるという 生き神様のように人々から尊敬されていた人なんじゃ。
「それじゃあ、あの悪狸めも、出雲の権吾呂太夫様が恐ろしいんぞ。 こりゃあ、何でも権吾呂太夫様のお力をお借りしょうじゃあにゃあか。」
 庄屋さんの言葉にみんなが賛成し、村人の代表が、さっそく出雲の国へ使いにいった。 何日もかけて、やっと出雲につき権吾呂太夫様に会わせていただくようにお願いした。 ところが、あいにく、権吾呂太夫様は旅に出ていなさって留守じゃった。 村の衆はがっかりして、へなへなとすわりこんでしもうた。 なにせ、何日も何日もかかってやっと出雲にたどりついたんじゃけえのう。 やっと権吾呂太夫様にお助けいただけると思うとったんじゃけえのう。 そして力なく立ち上がりうなだれて帰る支度をしとった。
 その様子を見ていた権吾呂太夫様の御側の方が、気の毒に思うたんか、
「ちょっとお待ちなさい。権吾呂太夫様はお留守じゃが、その代わりに、 権吾呂太夫様がかわいがっていなさる権の守をお貸しいたそう。 この犬は、強うて賢い。化け狸なんぞにゃあ、負けゃあせん。」 と、1匹の大きな犬を貸してくれたんじゃ。
 村の衆は大喜びで権の守をつれて、勇んで坂瀬川に帰ってきたんじゃ。
狸たいじ
 さあ、いよいよ化け狸退治じゃ。
 坂瀬川の村の衆は総出で、刀や槍などのありったけの武器と、鍬や鎌などをひっさげて、 権の守を先頭に本流寺の各入口やまわりをとり囲んだ。
「かかれっ!」
 庄屋さんの声を合図に、ワァーッと一斉に本流寺になだれ込んだ。
 しかし、どうしたことか、狸はたくみに姿をかくしてしまい、 いくらさがしても、どうしてもみつからない。 そうこうしょうる内に昼近くになってしもうた。 しばらく休憩じゃと、みんなが腰を降ろした隙を待っていたかのように、 ダーッと狸が外に飛び出してしもうた。
「こりゃあ、しもうた。逃がすなよ。」
と、権の守の網を放し、狸を追跡させた。
 狸は、北の方へ北の方へと走って行ったので、 村人は先廻りして井関まで行き、待ち受けておった。

 狸が犬塚を通りぬけ、犬の馬場までさしかかった時、権の守がとうとう狸においついた。 権の守は狸にとびつき、すさまじい闘いが始まった。しかし勝負はなかなかつかない。 狸はなおも北へ北へと逃げていった。井関まで逃げていったが、 そこには村の人達が先廻りして待ち受けていたのでくるりと向きをかえ、 太刀洗まで逃げ帰ってきた。そこには、権の守が、もう逃がさんぞと行く手をふさいでいた。 後ろからは、村の衆がせまってきている。手に手に武器を振りかざし、権の守の加勢をする。 権の守も全身血まみれに傷ついていたが、必死に狸に向かって行き、とうとう狸を噛み殺すことができた。
 長年、悪事を働いていた化け狸は、権の守の働きでやっと退治できた。
 村人たちは狸に止めをさし、血刀を振り上げ、大喜びで
「エイ、エイ、オー」
と、勝ちどきをあげたんじゃ。
権の守の死
 しかし、ここで悲しいことがおきてしもうた。
 ふと気がつくと、大狸と大格闘をして傷ついたんじゃろうのう。 権の守がぐったりと倒れているではないか。
「こりゃあ、たいへんじゃ」
びっくりした村の衆は、戸板に権の守をのせ、新開を下り、こう釜まで帰った。
 権の守は、はあはあと息をして苦しそうだ。村の衆は体をふいたり、 権の守の好物のそば粉に味付けしたおいしい粥をたべさせ元気づけようとした。 しかし、人々の願いもむなしく、権の守の息はだんだん細くなり、とうとう死んでしもうた。
 村の衆は、大化狸を退治し、村の平和をとり戻してくれた勇者権の守の死をなげき悲しんだ。 そして、坂瀬川に昔から観音様をおまつりしていた「経堂」というところの御堂でお葬式をすることにした。

 権の守のお葬式の当日、村人たちは、羽織・袴に盛装して集まった。大楽院住職の読経により、 人間の葬式よりも優る厳かな中にも盛大なお葬式で権の守の霊をなぐさめたということじゃ。
 その後村人たちは、大恩ある勇者権の守の死を悼み「犬塚大明神」という塚を建て、 今も、毎年正月七日お祭りをしているんじゃ。
 そして、権の守の恩を忘れまいと、子へ、孫へと「犬塚さん」のお話として、語り伝えているんじゃ。
今も残る地名
 「犬塚」「犬の馬場」と「犬」の名がつく地名にまつわる「犬塚さん」のお話は、これでおしまいじゃ。
 坂瀬川には、今もこの権の守の化け狸たいじにまつわる地名がたくさんのこっている。
★犬塚 権の守の墓を建てたところ
★犬の馬場 権の守の調教をし、後には狸と格闘したところ
★こう釜 傷ついた権の守に粥を食べさせたところ
★経堂 権の守の葬式をしたところ
★どんの待つ 狸を退治した権の守を出迎えるために、村の年寄りや子どもが待ちぼうけをくったところ
★しの久保 権の守の犬小屋があったところ
★太刀洗いの池 狸に止めをさした刀を洗った池
★与四郎畑 権の守の餌の蕎麦や粟をつくっていたところ
★輿山 権の守の葬式に使用した輿や遺品を埋めたところ
★井関 逃げていく狸を先廻りしてせき止めたところ
 こうした地名は、権の守の狸たいじの話とともに、人から人へと語り継がれていくことじゃろう。

おわりに
 みんな、さいごまでよう聞いてくれたのう。
 「犬塚さん」の話は、おもしろかったかのう。
 坂瀬川の人たちはのう。この「犬塚さん」の話を坂瀬川の宝物と思うていてのう。 この、今も残っている地名と由来を多くの人に知ってもらいたいと考えて、 平成八年の年に、住民が力を合わせて看板づくりをしたんじゃ。 地名と由来を書いたりっぱな看板ができているぞ。この話を聞いた後で、 この看板をたどって歩くと、「犬塚さん」の話がもっと身近に感じられること請合いじゃ。 みんなで歩いてみてはどうかの。
 又今年(平成九年)はのう、地区民総出で超大型(自称日本一)の紙芝居をつくり、 この犬塚物語を上演する計画があるんだ。さてさてどんなものができるかな。 みんなも大いに楽しみに待ってておくれよ。
1997年7月16日
坂瀬川地域おこしの会
1997年7月16日初刷
編著 坂瀬川地域おこしの会
小林光子
発行者 坂瀬川地域おこしの会
代表 高浦了完
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