高原のルモンド
20. 日本の敵
2005.11

 具体化して来ないと「敵」というものに対する意識は持ちにくい。しかし国際間でその感覚で居てよいものだろうか。
大体、「敵」というものについて日本人の考え方は甘い。カーツとなって八つ裂きにしてやろうと思っていても時間が経てば考えが変わってくる。「敵」とは憎しみ合い、本来、情け容赦のあるはずのない相手である。「敵に塩を贈る」とか「昨日の敵は今日の友」とか日本人独特の美的感覚による考え方や、どこかに「同じ人間じゃないか」と言う思いやりなどもあって、徹底的に憎み通すことがない。そして悪いことには相手(敵)も同じであろうと思って居ることである。

 しかし、世界の歴史に目をやれば判る。有名なペルーに於けるスペイン人征服者とインカ帝国の関係を考えて見よう。わずか150人のスペイン人に10万人以上のインカの兵士が皆殺しにされた事件である。一人当たりの殺人の数量は単純計算でも700人であり、その現場は想像すらできないほどである。それに国王を人質に残虐の限りを尽くすくだりは陰惨を極めている。日本人にはとてもできることではない。
 もともと白人は有色人種を同じ人間とは認めず、動物と人間との中間の生物と考えて居たようである。このことは欧米の東洋諸国に対する植民地化の手法や、のちの大東亜戦争に関わる皆殺しの戦法に表れてくる。今は禁句であっても当時の日本人にはよく解って居たことである。
 他の動物がそうであるように菜食動物は肉食動物のために生きていると言う考え方がある。自分のために動物を殺すことは彼らにとって通常のことであり、相手を殺すことについての心の呵責は、我ら菜食人種とは大違いである。
キリスト教の聖書には、際限のない殺し合いが民族間で繰り返され、得手勝手な自己優先の歴史が述べられ白人たちのすさまじい本質を浮き彫りにしている。
 彼らは隣国に住む他民族を攻め、皆殺ししてはばかるところがない。いま聖者面して、きれいごとを並べ立てても、古来から育まれた侵略と殺戮のDNAはかくせない。「殺して食う」と言う家畜に対する感覚が人間同士にも同様な感覚で平然と行われる肉食種族の基本的性質を推量するとき、慄然たらざるを得ない。
勿論、彼らを個々に当たれば、親切で良い人間が多い。しかし何処の国でも国と国との交渉は全く違う。ここで正体が現れることを日本人は骨身に徹して知るべきである。
 全てが自国の利益のために画策されて居り、彼らにとって他国がどうなろうと斟酌するものではない。日本が良い子になっていくら援助をしても「蛙の面に水」であり、彼らが将来、日本に援助してくれることは絶対にない。

 さて日本は100%国境が海上にあり、国民は隣国に対しての感覚に乏しい。戦争勃発の可能性を忘れられて久しく、取りあえずは生命の危険がないため外敵に対する実感がなく、すべて国内のことにのみ終始しているきらいがある。無警戒で緊張感のかけらもないのは世界で日本だけであろう。わが国としては、アメリカ、ロシア、北朝鮮、韓国、中国、台湾、が隣国である。標題の「日本の敵」とはこの隣国のうちから現れるわけである。これらを外敵と言い、早い話、隣に蔵が建てば腹が立つ間柄であり、国境守備や外交など常に油断禁物である。
日本では何か勘違いしている者たちが多く、バカみたいにいつまでも平和々々と言って居れば問題が解決すると思っているらしい。しかし、空吹く風のように国際間での実際の効果がなく、屁にもならないたわごとであることは誰が考えても判る。のみならず国民意識のバカさかげんを公表することとなり世界中の国々からナメられるだけである。
国と国との間で甘えなど一切通用しないし、きれいごとで済むことなどは一切ない。
目には目、歯には歯、核には核しかないのが偽らざる真実であろう。他に隣国のバカやキチガイたちを抑止する確実な方法があるとすれば教えて欲しい。

 アメリカは今でこそ表向きは友好国であるが、最も頭脳的で腹黒い。もと占領国で、まず東京裁判に於いて無理矢理、大東亜戦争を侵略戦争ときめつけ、日本を犯罪者に仕立てたことからはじまり、遠大な仕掛けをもって日本の歴史と誇りを消し去り、民主主義の美名の裏で個人主義を奨励し、まず国家としての日本を腑抜けにしたわけで、さすが肉食人種の国、すべて自国優先の「対日本家畜化政策」を行い、いまも続行している。現在は好況であっても、アメリカの景気がいったん下落すると日本に対して、また無理難題が始まることであろう。口を拭って平然としているが、嘗て、アッツ、ガダルカナル、サイパン、硫黄島、沖縄、広島、長崎、等の手段を選ばない皆殺しは彼国がやったのである。これらはたとえ消された歴史としても日本人なら決して忘れてはならない事実で、インカの昔をさらに拡大した人類史上未聞の鬼畜の行為である。

 ロシアは恨みぞ深き仇敵である。かつてアメリカの挑発により「座して滅亡を待つよりは」として、日本は勝ち目のない大東亜戦争に巻き込まれたが、国民は全員が最後まで全力を出して戦った。あくまで国を護る戦いであり、後世に言う侵略ではない。「最後の一兵まで」と言う戦いぶりは人類史上になく、命を捨てて国を護ると言う信念とその勇敢さに類例はない。日本人なればこそなし得た誇り高き戦いであった。
しかし、勝負は見えて、その後の攻撃はただ虐殺だけの状況となった時点で、隣国として調停ができるのはロシアだけであったが、調停どころか、あろうことか突如不可侵条約を踏みにじり、恥知らずの強盗に早変わりして、当時満州に居た女子供を含む民間人に強奪、凌辱、虐殺を行った。日本民間人は、そのため集団自決に追い込まれたものも数多い。その上57万人にものぼる兵士を拉致し、酷寒のシベリヤで十数年にわたる不法抑留を行い、この間、6万人にものぼる戦争以外の大量殺人を行う結果となった。当時の無念さは筆舌に尽くせるものではない。冷酷で、実に信用ならない国である。今でも、もしアメリカとの安保条約なかりせば、真っ先に牙をむいて乗り込んでくる肉食獣である。北方領土の話どころではない。これも日本人ならば忘れてはならない裏切りと虐待の極致であり、永久に許すことはできない。

 北朝鮮はバカと言うより気狂いである。テロ国家では話にも何にもならないが、ともかく隣国であるために危なくて無視できない。しかし、どうせ大したことはできないが、核を持たせることは「きちがいに刃物」の例えどおりである。

 韓国は一応友好的なそぶりは見える。しかし国民性は日本とは大違いである。油断は禁物である。未だに大仰に過去をほじくって騒ぎたて、自国に優位な歴史を創作せんとして日本政府などに圧力をかけている。執念深い陰惨な国民である。

 中国は、国土の広さと人口をたてにまことに傲慢な国である。これも執念深く韓国同様陰惨な国民性がある。未だに五十数年前の事を繰り返し恨みごとを言い、南京虐殺をでっち上げ、白を黒と言い張り、日本の内政にまで口出しをしてくる。そのために天皇も首相も戦後未だに靖国に正式参拝ができないと言うのは情けない。中国の指導者のような状態を日本では「タコのくそが頭に登った」と言う。

 マレーシアでの何かの会議で中国の高官が「日本は2、30年後にはなくなる国である」と言ったという。何を意味しているのであろうか、領海侵犯、抗日行動をしながらODAをふんだくる、要するに丸腰の日本をナメきっているのである。
 台湾はもと日本の一部であった経緯がある。台湾は台湾であり、中国の一部と言うことはない。台湾は小国ながら日本化して努力を重ね、自力で見事に発展した優秀な国である。「金持ち怒らず」と言うが、横暴な中国に対して今後如何なる知恵を出すであろうか。心情として応援をしたい隣国である。

 これら隣国は事情の変化によって、いつ敵として変身するか判らない。原理は武力のバランスである。現在のアメリカとの安保条約によってかろうじて保たれているとすれば、まことにうすら寒い実情である。つまり、アメリカの都合で戦争がはじまる可能性があるからである。しかし、現在アメリカは好景気の最中で戦争の必要がなく、わが国としても尖閣諸島や竹島問題のように小競り合いの可能性はあるが、嘗てのように大戦争に発展することは想像しにくいものがある。しかし、自分の国は自分で護るしかないことは当然であり、まず速やかに憲法を改正しなければならない。

 さて、日本を滅ぼす敵は隣国だけであろうか。外敵に対する内敵と呼ぶべきか、国家の病気のように本当の問題は国内にあると思う。手もなくアメリカの民主主義に乗せられ、アメリカのお望みどおり、弱体化してしまった。いまや日本は国家としては最低である。かねてより日本政府の筋の通らぬ弱腰には切歯の思いをさせられるが、つい五十数年前の激戦を忘れ、自分たち日本国の守りのために命を捧げた勇士たちを悪人と決めつけ、言われるままに謝罪をしてはご機嫌伺いの資金援助ばかりするのは「恥知らず」としか言いようがない。まさに屈辱の敗戦国の忍従を半世紀以上も続けるのはなんとしたことか。かつての日本人が命より大事にした誇りを意外にも簡単に捨て去り、自らが家畜になり下がっているのである。
そして国民の質が低下するに止まらず、敵国の手先かと疑う自虐史観を当然のように尻馬に乗る革新団体、教職員、マスコミの一部、など破壊分子として日本国内に反日日本人が蔓延しているのは周知の通りである。
理屈をこいて、国旗「日の丸」を掲げず。国歌「君が代」を歌わない。一体そのような国が世界の何処にあるであろう。

 先日、広島県府中市第二中学校、芦品郡新市中学校の卒業式の例がテレビで報道された。式場に掲げてある「日の丸」を見て一年生が退場したと言う。「日の丸」を除いて改めて式を行い、「君が代」斉昌も勿論行われない卒業式であったのである。校長は、生徒が歌いたくない「君が代」を歌わせるのは生徒の自由意志を尊重することにならないと言った。常にびくびくして生徒の顔色を伺い、教育する気のない教育者が横行しているのである。教育とは、自由意志を尊重することではなく、規律を教えることである。先年、同じ問題が原因で校長が自殺した世羅高校の実情が国会に報告され、あろうことか、広島県の公教育を司る「八者懇」のなかに教職員組合ほか「日の丸君が代」を反対阻止する団体があり、長年、地方の教育界を牛耳っていることが明るみに出た。

 「日本の敵」は意外や日本の内部に居たわけである。同胞であるはずのものが、ひそかに敵意を燃やし、国に対して悪意にみちた行為を重ねていたのである。自由、平等を濫用する過激な理論武装はまだよしとして、黒の組織としてマフィアの如き結社に発展してからの彼らの常套行為は威圧と脅迫である。
病原菌のように内側から浸食を続け日本を食いつぶさんばかりに、いつのまにやら手に負えないほど肥え太った怪物的存在となっている。
侵食は多方面にわたるが、就中、教職員が尻馬に乗って間違いだらけの教育を行って居ることは周知の通りで、お話にならない非常識が多く憂慮に耐えない事態である。結局は日教組が間違っている。そして個人々々の教職員が間違っている。
言うまでもなく教育界は民族の将来がかかって居る肝どころであり、我々はこの見えざる内敵に対し正面から戦わなければならない。そして命がけで教育を正常化させなければならない。

 先日、「おしん」の再放送をNHKがやっていた。この日本の立派なドラマを何人の若者が理解するであろうか。労苦を惜しまず、物事に恐れず逃げず筋目を通して一生懸命に生きるおしんの姿に自分を重ねて涙するのは、すでに年金生活に入った老人だけであろう。そしておしんの時代と現在との格差を改めて思い、現状を感謝するのである。つい最近になって社会はめざましい発展を遂げ、国民は阿呆のように飽食をかさね、思えば何もかもが、いたれり、つくせりの世の中となってきた。
ところが人間は恵まれすぎると感謝を忘れる。自分のとるべき筋道がわからなくなる。その上に頭にあるのは自分の損得のことばかり、かつて自分のことを優先することは恥ずかしい行為と考えた日本の美風は影もない。一様にどうかして責任のかかることからは逃げ、うまく立ち回り、他人はどうなろうと知ったことではない。時にはその他人の中に自分の親を含むことさえある。
日本人のよき伝統「親孝行」は何処へいったのか。それもアメリカ民主主義がもたらした個人主義の昂じた極みであろう。
 とくに最近の嫁は強くなり、絶対に主人の親とは同居しない。それに性根の座らない若者は大抵が尻に敷かれて「言いなり」になっている。徴兵制度のなくなった国家、緊張感がなくなった国民、男性は無力化し、女性の言い分が絶対的な力を持つ、わがままと浅知恵が横行し、現代の日本男児は恵まれたぬるま湯の中で腐りかけて居るのである。
大抵の嫁はペットを可愛がるようにいたれりつくせりに子供にかかわる。子供の将来のため心を鍛え辛抱する能力を養成する知恵はない。そのため、ついには親をバカにし自己中心のわがままで心の冷たい人間が出来上がる。親の社会そのものが甘ったれて居り、何でも愛、愛、と愛の安売りをする。
 子供は可愛がるほど親心とはうらはらに、自分本位の心の冷たい不人情な子になる。古諺に「女さかしうして牛売り損なう」と言うが、牛どころの話ではない。若い親たちは、苦労しなければ本当の成長をしないことを知らないのである。
昔の日本では、この過ちを指摘し指導するのは老人の役目であった。しかし今の若者は聞く耳をもたず、指導能力が老人にない。権威を失墜した老人は小さくなって成り行きを見守るしかないのだろうか。

 何処かが狂っている。何かがおかしいと突き詰めて考えれば、結局、共通の基本問題としてわかってくるのが民主主義の中の自由平等主義の濫用である。後でも述べるが、驚いたことに、これを学校で教えて居るのである。生徒がお客さんのように扱われ、チヤホヤと顔色を伺うのを学校もPTAも当然と考えて居るようである。
 国家があって国民生活が護られていることを考える者は居らず、国民として国家に協力する義務を忘れ、傲慢なほどに権利ばかりを主張する。自分のことしか頭にないわけで、右も左も節度のない個人主義なのであり、最近の日本人の恥ずべき弱点である。
 本来我々は、賢明で立派な国家を継続してきた歴史を持つ素晴らしい民族であるはずである。しかし、いまその弱点を犯され、見事なほどに落魄して滅びつつある。
そして大半の日本人がそのことに気付かず、改めようとしないこと、即ち、日本国は再び危機にさらされ、一路滅亡への道を行進していることになる。第一の「日本の敵」とは外敵にはあらず、日本人自身の心の中に巣喰い心を蝕んで居るエゴイズムである。
それは見えざる恐ろしい敵である。

 我々も悪い。余りにも経済観念ばかりを先行させて働き過ぎた。我々の年代のものには当然のように「貧困からの脱出」が架せられた大目標であった。
今にして臍を噛む思いで反省するものがある。かつて自分たちがそうであったように子供は親の背中を見て育つものと思い込んで居たことであり「自分の子に限って」と言う理由のない信頼感や希望的観測によるもので、まさしく父親の教育怠慢である。
もし、背中で教育ができるとすれば、それはハングリーの時代に限られ、周囲が豊かになれば次第に状況は変わってくることに見落としがあった。
 人間の本質は、放置すればわがままで怠惰に流れるのである。何でも望めば与えられる環境が逆に災いし、ヘンな部分だけが早熟したようなバカ息子やバカ娘ができた。同様の意味で心得違いのバカな母親が増えたことも状況の悪化を早めてしまった。
そして問題の最たるものは、その間我々は学校で間違った教育が行われていることに気付かなかったのである。なんと、あろうことか日本の学校は長い間、わざわざ間違った考え方を持った国民を養成して居たのである。
 近頃の子供達は「ハイ」と言う返事をしない。目上の人に対しても「ウン」と言う返事しかかえって来ない。帽子を取らず姿勢を正すことすら知らないのは、気がつけばこれも教育方針に原因があるのである。例えば、病的に差別をなくすことに重点を置くあまり生徒と先生が友達のように平等であること。同じく教職員と校長の関係も平等、果ては文部大臣や総理大臣にまでその理屈が及ぶのである。
むしろ正しい差別を尊び、人間の上下関係の規律を教えることが教育である。教育者たるもの良識ある教養人のはずなのに何というバカな心得違いをしたものか不思議でさえある。勿論、この異常な平等教育は氷山の一角と言うべきで、小中学校から高校まで教育の非常識行為は、それを知れば知るほどあきれるばかりなのである。
問題は親子二代にわたり、この腐敗病菌が感染して居り、これが当たり前とされていることであり、転移した癌と同じで治療不可能を告知されそうな状況である。つまり、今の親の代から教育をやり直さなければならないのである。まことに困難である。 こうしてみると実に日教組の罪は重い。
断じて許されるべきものではない。
今後も教育の正常化を行わないとすれば、まさに日教組こそ「日本の敵」である。

* 国家があって国民の生活が護られて居ること。
* 日本国民は「日の丸」を掲げ、「君が代」を斉昌すること。
* 日本の国史を正しく教えること。
* 人間の上下関係の規律、礼儀作法、を教えること。
* 日本の美しい伝統「親孝行」を教えること。

 上記5項目は、不思議にも現在の学校教育で教えられて居ないことである。
しかし、これは日本国民として、すべての学問に優先して、必ず、全員に教えなければならない事項であると信ずる。
即ち、正しい教育とは、まずこれを速やかに実践することからはじまるのである。

 さて、我々油木ライオンズクラブは「郷土を愛し、正しい教育を考えよう」とのスローガンを掲げ、1年を経過しようとしている。孫たちのため、また正常な日本人としての誇りのため、命のあるかぎり「日本の敵」と戦わなければならない。これこそが真の奉仕である。 反面、かかる使命感を持たないライオンズクラブほど醜いものはないと思う次第である。


 以上の文章は平成11年4月油木LC会長のとき書いて、クラブ内に配布したものである。
その前年3月「日の丸、君が代」問題で県立世羅高校の石川敏浩校長が自殺された事件があった。以来6年半余りを経た今日、国情、民情が少しでも前進したであろうか。増え続けるニートやフリーターの正体は、いわゆる根性なしである。これらはすべて現代の教育の結果にほかならない。

 読者諸賢にお尋ねしたい。如何にすれば日本国を再生できるであろうか。すでに手遅れかもしれないが、私は自民党が国会で議決できるいまこそ、憲法、教育基本法を改正することを逡巡してはならないと思う。
結局、そこから始めるしかないないのではあるまいか。
 苦労をするために生まれたような私の妻でさえ72才になった。もう元気で生きていることだけで家族の中では大仕事をしているのと同じである。
 述べてきたようにわれわれ昔人間と子供たちとはいつしか考え方の違いが生じ、それを誰も省みようとはしない。橋田寿賀子のハルとナツを見て、日本の家族は実はブラジルに居たことを知った。それにひきかえ日本本国では誰も彼もがジコチュウばかりで家族崩壊寸前、見回せばそういう家族は、そこここに多い。国家の崩壊は家族に直結しているのである。
 内なる敵はエイリアンのように侵犯し、身の回りを犯しはじめた。このまま憤死すれば、犬死の人生である、何としても吼えまくって終わりたい。
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