高原のルモンド
15. 5月27日「日本海海戦100周年記念式典」に参加して
2005.06
 対馬はよいところである。福岡空港から僅か25分のフライトで到着する。
首府である厳原に宿を取って北端の比田勝港と殿崎に向かう。マイクロバスで2時間余り90KM、うねうねと山また山の意外に大きな島である。
ご存知乾坤一擲、日露戦争の日本海海戦のあったところである。この海戦に負けることは日本がなくなることであった。しかし日本海軍は40対0のパーフェクトでロシア バルチック艦隊に快勝した。司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも詳細に記述してある史実である。その時ロシア兵約5000柱、日本兵128柱が戦死され100年この海底に眠っている。驚いたことに合同の慰霊祭をするのは初めてだそうである。趣旨は100年の節目として海戦の意味を思い返し、英霊に対する日露の合同慰霊祭を通じて日露友好を深めることであった。
 現地、殿崎には大きくて立派な記念碑がたてられた。大きい青銅製のレリーフには重傷を負った敵将ロジェストウェンスキー提督を東郷元帥が見舞っている場面が刻まれ、その下に有名なあの文章が書かれている。


「皇国興廃在此一戦各員一層奮励努力」
「接敵艦見之警報聯合艦隊欲直出動撃滅之本日天気晴朗波高」
   そして
「対馬から世界を変えよう 」
明治三十八年五月二十七日、世界史上に多大なる影響を与えた一○○年前の日露戦争もこの位置から一望に見渡せる対馬沖が日本の命運をかけた日本海対馬沖海戦(TSUSHIMA WAR)の激戦地であり、司馬遼太郎原作「坂の上の雲」最終章の海域である。この地の人はこれを「こないだの戦争」と言う。
 私達、対馬歴史顕彰事業推進委員会は、国家観をもつ平和教育と地域の活性化などに役立てる為、先人達が遺した日本人としての誇りと礼節と壮気をもって「真の世界平和と友好」を祈念し「この対馬から日本を更には世界を変えたい」との思いで、この事業を推進してまいりました。この碑が建立されたこの地は、TSUSHIMA WARの激戦後、バルチック艦隊モノマフ号の傷兵百四十三名が漂着し、空腹で飢え、水を欲し、寒さに震えた傷兵達を地元西泊区の人々は民家に分宿させ、炊き込みをし、風呂を沸かし、衣服を与え、医者の手当てを受けさせたりと、誰しもが彼らを手厚く看護したのです。全員の体調が整ってから対馬を離れる時、介護した農漁民も、元気になったロシア兵士達も涙してその別れを惜しんだのでした。

 現代を生きる私達は、これからの日本国を担う青少年にこの一○○年目と言う節目を確認させておく為にも真の日本人だけが持つ「品性」が資本であると言う教えを世に問う良い機会になればと思うのです。
ここに建立されたこの「日本一の巨大レリーフ」(古島松之助画)のシーンは、バルチック艦隊司令長官ロジェスト・ウェンスキー提督が対馬沖にて重傷を負い、佐世保の海軍病院に入院中の明治三十八年六月三日午後三時、日本連合艦隊司令長官・東郷平八郎提督は鄭重にこれを見舞ったのです。敵将の思いがけぬ暖かい情けに感激したロジェスト・ウェンスキー提督は重傷の身を起こして、深く深く感謝の意を述べられたのです。胸いっぱいの感慨を込めて、握る手と手、見合す顔と顔、誠に息詰まるようなこの「感動と友好」の場面をここに記念建立をするに当り、一○○年前「地元住民とロシア兵との友情」が芽生えた歴史的背景からして、この現地、殿崎が地球上のいずこよりも人間愛を語る上で、一番ふさわしい選択の地だったのです。
 そこで次なる一○○周年に向けて、「対馬から世界の平和と友好を祈念する」情報発信地としてこの地を
今後、「日露友好の丘」と命名する。

対馬市  市長  松村 良幸
対馬・歴史顕彰事業推進委員会
二○○五年  五月 二十七日

 碑文もまことに立派で同感を呼ぶ。なんとこれが三年ほど前から百周年の今日がくることを思い立った一市民の発案と努力からなのであり、驚かされた。元禄の赤穂義士討ち入りに匹敵する快挙と思うは私だけではあるまい。
 主幹は武末裕雄氏その人である。彼の努力は想像を絶するものであるが、実行委員が108名も集まったと言う。これらの勇士諸君に深甚の敬意を表したい。
 本来、かかることは日本政府が主催してしかるべきものである。参加者は想像に反して総数で3〜400人くらい。想像の十分の一である。 日本政府関係者はひとりも来ず、さすがに長崎県知事はみえた。ロシア側からはロシコフ大使ウクライナ大使などで、途中、石原慎太郎から祝電が来た。
 行事は海上慰霊祭と陸上慰霊祭とが行われた。海上は自衛艦2隻が先導してフェリーで現場まで行きロシア国旗と日の丸の小旗を打ち振りながら花を投げ「海行かば」を合唱した。日の丸の旗をなびかせて、百隻もあるかと思わせる漁船パレードも勇壮であった。 陸上は殿崎の岬で前述のレリーフと慰霊塔の除幕と日露双方の祈願祭であった。
 あと上対馬荘でレセプションが行われた推定150人くらいの出席で、ながながと日露双方からの挨拶があったが、重ねて言うが日本政府はなにゆえ出席しないのか、憤慨に堪えない。
 さて、碑文の中に「品性」と言うことばがあったが、対馬の人々はとくに純朴で親切である。厳原の街中で「くすり屋」の在りかを尋ねると、急ぎ足ですれ違う板前風の青年が50mもバックして教えてくれた。くすり屋のおばちゃんは広島から来たといえば1割もまけた上、ドリンク剤までサービスしてくれ、話が日本海海戦百周年に及ぶと日露戦争当時の大砲の薬莢を奥から持ち出して見せてくれた。気持ちがうれしい。都会の人々に対馬の人の半分の品性があったらと思う。

 品性の話の続きであるが、昔とは言え一方的に不可侵条約をふみにじり、満蒙に攻め込んで狼藉の限りをつくしたソ連軍、日本人は民間人まで集団自決に追い込まれた。それに60万人ものシベリア抑留11年、アメリカも原爆をはじめ民間人の世界最大の虐殺を行っていながら一言の反省の言葉もない。
中国も朝鮮も引揚者をさんざんいじめ、許しがたいものがある。60年経ったいまでも日本大使館を侮辱し、日本系の商店まで襲い、日の丸の旗に火をつけふみにじり、おとなしいものに対して威丈高となるチャンコロの品性をむきだしている。日本人は立場を変えて考えてもそんなことをするであろうか。
教科書問題、靖国問題、日本は自主独立国家で品性の高い国である。
大きなお世話である。
とは言いながら日本にも問題がある。いわゆる平和ボケである。高校の門まで子供を送る母親、これは成人式にまでついてゆく親である。良い子が育つわけがない。一言小言を言えば飛び出してしまう嫁、嫁の親の教えがないのである。
核家族化からそうなった。小言を言わない親は親ではない。
大抵の若者は自分だけのことしか頭にない。家族のことも考えない。まして国家のことなど知りもしない。
 今回の日本海海戦百周年記念式典は大いに意義ある式典でありながら参加者の少なかったことは、全日本的問題につながっている、この重大な歴史を知らず、意味がわからないのだ、教育がなってない。結局、政府が悪い。
それにマスコミがまったく最悪である。このことについて新聞、テレビに報道がほとんどないのである。この国家的イベントに対する姿勢が間違っている。
 純粋で情熱を燃やした対馬市の面々、武末さんをはじめ実行委員の有志たちに、なにか思想的に偏りでもあるかと言うようなマスコミの態度である。憤慨を禁じ得ない。はっきり言って昨今はマスコミ全般の品性を疑う。
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