神石高原福祉地帯化小論
現況について
神石高原
 神石高原は愛して止まない故郷であります。何処を旅しても、 どんな有名観光地を見て来ても、此処へ帰るとやはり一番よい所と思うのは私だけでしょうか。
 風、空気、気圧、温度、湿度、風景、山波、木々、田舎道、静かさ、 また安心感、そして何よりは人々の気安さ、温かさ、いろいろな要素が重なって、 丁度、鮭が孵化した川に帰るように私たちのこころを抱きこんで離しません。
 それは神石高原で生まれ育った私たちだけの主観ではありましょうが、 それを充分に割り引いて考えても、まぎれもなく日本の佳境であることに違いはありません。
 ところがそのような思いとは関係なく、近世になって社会事情が変わり、 神石高原の活力は徐々に衰え、昭和30年代に比べると人口は三分の一、 そして高齢化率は40%を超える状態となり、 その衰亡への加速度は非情にも増すばかりで阻止の仕様もありません。 これをこのまま成り行きに任せるとしたら如何なる事態となるでしょう。
 日々僅かづつではあっても確実に滅亡に近ずいていることは改めて申し上げるまでもありません。 具体的に言えば伝説の「姥捨て山」が平成の今日、 再現しつつあるのです。
60才、70才はまだ若者、80才の老夫婦どちらかがボケて毎日大変、 或いは見るも気の毒な独り暮らし、そのような状態が神石郡下集落内の平均的な現状であります。
 それは例え、いかに愛する故郷であろうとも容赦のあろうはずもなく、 やがてこの故郷は時限的に消滅すると言うことなのであります。
ドーム  このことについて、よく解っているはずの行政当局、役場は何をしているのでしょうか。 4ケ町村ともピントはずれのハコモノばかり作っては臆面もなく 借金を増やしているのはなんともやりきれない思いがいたします。
 この点を住民のみなさんが何と思って居られるのか、私にはよく解らず、 どうしても納得の出来ないものがあります。役場には月給鳥ばかり、人間がいないのでしょうか。
 全く現状の何たるかを把握して居ない。毎日、大勢の職員は何を考えて居るのでしょうか?
 ただいまは4ケ町村が合併して、一つになる相談がなされて居りますが、それで一体何が解決するのでしょう。 しかも、それぞれに近い将来に於いて財政破綻が襲いかかることは当局にはよく解っているはずでありながら、 それを合併によってそれぞれの責任を先送り、頬かむりしようと言うのでしょうか。
コイン  合併による政府からの交付金は過大に宛てにされて、情けなや、 餓鬼の争いを誘うばかりであり、また焼け石に水の例え通りとなることでしょう。
 役場の職員を減らし、議員を減らしていくら経費節減になるのでしょう?。 経費節減には賛成ですが、そうしたマイナス志向でどこまでの責任ある行政が出来るのでしょうか。
 民間の企業などではとても考えられないことが、行政では意外に簡単に行なわれます。
 費用対効果について考えないことは自分のフトコロの傷むことのない、 もともと「無責任」と言うことであり、底流に行政独特の真剣さのないお座なり的なものが見えるのです。
必要度について、またその維持管理費についても理解に苦しむような建物施設が次々と出来上がり、 一方で経費節減、リストラのための合併では納得の行くはずはありません。
 町村合併は、企業や銀行の合併とは違います。町を大きくするメリットが何処にあるのでしょう。 それが明確でなければなりません。
 第一に合併して新しく発足すべき神石高原村に目標がありません。 いかなる特徴をもつ地域をめざすのか、どんな町になるのか、そのピジョンが示されて居りません。
 農業用語に適地適作と言うことばがありますが、それは農業に限りません、 広い意味で神石高原には一体何が適作なのでしょうか。その適作を見定め、 地域の大方針として目標を住民に示し、意志統一を図るのは各町村長の役目であり、 重大な責任ではありますまいか。
 それが残念ながら過去に於いても提示されたことはありません。 各町村長の方針は、いつの場合も総花的な、そして希望的観測を出ない話ばかりでありました。
 地域をよく調査し、その特徴を打ち出した基本方針がないのです。 そのために費用対効果も考えない目的不明のハコモノばかりが先行するのです。
 神石高原地帯は社会経済事情の変化によって、いまこそ変革の決断を迫られているのです。
 よくお考え下さい、現在神石地帯は、今までのものを続けることが出来なくなったのです。
 そして「放置すれば山になる」と言うことが何千年を経て、 今そこへ来てしまったのです。
町村合併  しかし、これは突然やってきた変化ではありません。 こうなることは随分前から役場では解っていたはずです。
 町長さん、議員さん、そして役場の職員さん、お考えの焦点が違うのではありませんか?
 それは新町名や、新庁舎の位置のことではありません。情けないではありませんか。 そのようなことは一番後でよいのです。新発足に当たり、この町はどうやって生きてゆくのか、 どのような特徴のある地域にするのかが相談されず、肝心の方針が示されて居ないのです。
 そして、そのことが提示されてこそ合併の意志統一がはじまると思うのです。
たけのこ わらび  高冷地の温度差を活かした農業は、取り敢えずのところ一部では成功をされていることかも知れませんが、 迫り来る老齢化に加え、全体的に農業で生きることは地形的にも不可能に近いことであり、 過去の農業に対するこだわりが、いまはかえって住民の疲弊の原因となって居る一面があります。 何千年も営々として苦労をされた先祖には大変に申し訳ないことながら、 現在は是非もない事態となってしまったのです。
まつたけ さつまいも  同様に地形的、またアクセスの問題で工業地帯としても適地ではありません。 雇用促進のためのみの工場誘致の構想は都市周辺に比べてレースになりません。
 学園地帯?商業地帯? これはすでに論外でいかにITの時代とは言え、 現物の流通は交通アクセスが一番であり、郡内には鉄道さえも通って居りません。
大根  然れば如何になすべきか。思えばその昔から殆ど見捨てられたこの地域に、 さらに条件は悪化し、ただ消滅を待つばかりの現状であるわけであります。老齢化に猶予はありません。
 10年後、20年後を想像して見ましょう。はっきりしていることは 「放置すれば山になる」いよいよ猿や猪は増え、 やがて彼らに愛する故郷を明渡す事態が来ることでしょう。
どうすればよいか
 人間には、切羽詰まったときにこそ出せば出る勇気と知恵があるのです。 問題は今の人々には或る種の甘えがあり、切羽詰まった危機感がないのです。
 しかし、せめてリーダー(為政者)にはこのことを理解して頂かなければなりません。
 私は、冒頭に述べてきたように、この神石高原地帯は気候、風土は良く、 客観的に見ても申し分のない静養地の環境に恵まれて居る地帯であることを確信して居ります。 また瀬戸内と中国山地の中間にあり、位置としても最も適したものと思われます。 これを活かして「一大福祉地帯」を目指すべき地域と考えますが、 如何でしょうか。
 それは現状の、逃れることのできない「姥捨て山」現象を容認し、 逆手にとって積極的に近代的「改良姥捨て山」を目指すのです。 “窮すれば通ず”のたとえ、積極的になれば様々なアイデアが浮かんで来るものと思うのです。
 三和町にあるビーグルと言う老人施設、油木町のシルトピア、 それは都会(例えば福山市)にある同じ施設とは全然気持ちが違うと言うのです。 老人とは言え、同じ感情をもつ人間です。職務的に介護されるのと、 心のこもった介護を受けるのとは大違いであります。
老夫婦  思いやりの厚い介護は、お芝居では出来ません。その思いやりが土地柄であり、 昔々から伝わってきた田舎の人情なのです。 この人情こそ神石高原のいつまでも大事にしなければならない宝物であると思います。
 老人とは言っても、畑仕事がしたい人、ゴルフもしたい人、魚釣りがしたい人、 いろいろな段階があって最後に介護が必要となるのであり、 世界一と言われる長寿の国日本は老人施設もまた様々なタイプが考えられるべきでありましょう。 寄宿舎形式の老人施設のみにこだわらず、地域全体を福祉地帯にする構想が肝要ではありますまいか。
 神石高原地帯が生き残り、また発展をして行くにはもはやこの道しかなく、 余程思い切ったユニークな構想による企画と行動がなされなければなりません。
 まず、先手必勝の例えあり、合併を機に新しく 「一大福祉地帯にする宣言」をして国、県、 或いは近隣に示し、またこの機をとらえ、何のための町村合併かを住民に説明し、 意志統一を図ることが肝要な急務ではありますまいか。
 油木の福祉大学誘致の話は素晴らしい話とは思いますが、順序はその後であり、 「宣言」がまずなされてから、その中の計画の一環としての努力目標の一つであると思います。
 重ねて申し上げますが、この一大福祉地帯とならしめる構想は、神石高原の目的であり、 合併する上に相談しなければならない一番のことであります。 新町の目標となる「宣言」は 一日も早く内外に発表されなければなりません。 「先手必勝」このアッピールとPRの方法は重要で、 これが勝負でありましょう。成功の鍵がここにあります。 何故なればそのようなことを考えるのは神石高原地帯ばかりではないはずだからであります。
家族  人の老後は家族と共に最後まで暮らすことこそ理想とすることは言うまでもありません。
 3世代、或いは4世代が日々お互いを見つめて暮らせる家庭制度の幸せは日本古来からの伝統であり、 この風習があってこそ情のあつい子孫が育まれ、日本人の底力が受け継がれて来たものと信じて止みません。 しかし社会事情はかわりました。残念ながら実情は家族の分散しかなく、 今は是非もない事態となってしまったのです。
 「改良姥捨て山」とは言い方に問題がありそうですが、 しかし、実際はまさにその通りで誰もがそういった境遇に到るものとすれば、当然のことながら医療施設、 住居、保養施設は必要に合わせながら「誘致」または「建設」を進めなければなりませんが、 肝要なことは地域のムードをたかめ、前述の田舎特有の人情を含め、老人たちを元気づけ、 楽しくさせるためのあらゆる思いやりの工夫アイデアのある神石高原地帯を造り上げることが 目標の骨子となりましょう。アイデアをこそ広く公募するのです。
 日本国に於いてはじめての一大福祉地帯をめざすため 「目標を見定める」「住民の意志統一を図る」 この二点に絞って町村合併の相談が進行したならば、 その他の付随した諸問題は目的を共有する以上、お互いの納得がなされて決定されるのではないでしょうか。
 若しうまく行けば、今までの無計画に作られたハコモノ施設がすべて活かせるかも知れません。 またそれだけではなく、故郷を少しでもきれいにしようと、現在も、道端のゴミ拾いをしたり、 草花を植えたりするボランティアの人たちが居られますが、新しく目標のできることは、 その人たちをどんなに元気付け、勇気付けることでしょう。
 さて、ちなみに老人が好きなものを具体的に上げるとすれば、すべてがレトロ調であり、 現代の若者のそれとは大筋で全く違うのであります。 しかしこれはこの老人福祉活動の上で大いに取上げられ、 地域のムードの中で盛り上げられるべきでありましょう。
 例えば
つり ゴルフ、グランドゴルフ、ピンポン、日本舞踊、ウォーキング、瀬釣り、へんろ、旅行、 酒、焼酎、軍歌、なつメロ、浪曲、神楽、コーラス、艶歌カラオケ、楽器演奏、太鼓組、 俳句、短歌、読書、自分史、絵画、書道、手芸、木工芸、茶道、生け花、陶芸、写真、 野菜つくり、花つくり、山野草、植木、盆栽、山歩き、犬猫ペット、小鳥、めだか、 梅干、古漬け、山菜、とうがらし、煮しめ、そば、胡瓜もみ、ちしゃもみ、川魚、炒味噌、 --------------- 
 などなど上げつればいとまはありません。 しかし文化は時代とともに変化し、嗜好さえも明らかに変わり、若者たちとの差はひろがるばかり。 ポタージュスープ、グラタン、シチュー、などはまだしも、 どうやって食うのかと思う特大ハンバーガー、なんとかのムニエルだの、 クラムチャウダー わけのわからないキャビアというもの、サラダのドレッシングさえもうまいとは思わない。 オレンジジュース、パンとベーコンやスクランブルエッグでは朝飯にならない。 思えば、食べ物の世界にも老人たちの安住の環境がありません。
 三和のビーグルにしても、油木のシルトピアにしても、全体から見れば、 ほんとに申し訳程度の設備であり、一体何%の老人が収容できると言うのでしょう。
 しかもいろいろ規制があって、あそこも老人の楽園ではありません。 これが本当に命がけで20世紀を頑張った人たちの末路だと思えば、言葉にならぬ腹立ちさえ覚えるのです。
 郡内出身で都会で生活されている老人たちは、いまどうして居られるのでしょう。 もしや狭いところで、わが子にまで気遣い、肩身を細くして暮らして居られるのではなかろうか?
 燕が古巣へ帰るように、鮭が生まれた川に帰るように、 故郷が両手を広げてお帰りを待っているとしたら、その人たちはどうされるでしょう。
 核家族化というものはデモクラシーとともに発生した亡国の家族制度であります。 親孝行を無視し、個人の自由ばかりの自分の御都合主義がデモクラシーの正体であります。
楽譜 楽譜 楽譜  先日、旧制中学寄宿舎の同窓会があり、40人ばかり集まりましたが、 みな70才以上で中には57年ぶり、という方も居られ、名乗らなければわからない状態でしたが、 それが起立して全員で寮歌を合唱するときは、朗々といや轟々と、 他の人には誰にもわかるはずのない歌が3番まで歌えるのです。感動のあまり胸がつまってしまいましたが、 全員が同じ出発点をもつ人生であったことをつくづくと思いましたし、言葉にならない元気が甦りました。 まだ、自分たちにはやらなければならないことがある。 死がいよいよ訪れる日まで弱気になってはならないと固く心に思った次第でありました。
 ともすれば、しょぼくれそうな年代、この一例を以っても老いてなお、出会いを多くし、 大いに語ることが具体的にも、また即効的にも元気の出る妙薬であることに気付いたのであります。 多くの出会いこそ福祉地帯のねらいであり、元気を出すアイデアの鍵は気持が解り合える友人との出会いであります。
老人たちがまだ主導権をもって生活をしている家庭は全体の何%あるでありましょう。 20世紀を頑張った人々は今の豊かさを築き上げたのです。もう少し胸を張ってもよいのです。
 述べてきた諸事情に鑑み、神石高原地帯を 「老人たちを元気付ける町」として目標と定め、 我々がまだ元気なうち、いま一度、精一杯やって見ようではありませんか。
上記は郡内むけの文章ですが、これをインターネットに載せるのは、広くご批判、ご意見、また何よりは、具体的なアイデアがお聞かせ願えたらと思うからであります。  どうか、何でも、どなたでも、通信方法は何でも結構です、どうか教えて下さいお願いいたします。
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