現代日本親不孝列伝
平成14年8月27日
 人の親孝行は見ていても心の洗われる思いがするもので、親によろこんでもらうことは人の生きがいですらある。 海より深い親の恩とは、自分が親になってしみじみとわかるものである。 反対に親を粗末にする人は、たとえ目上の人であっても尊敬できない。
 近年西洋の文化が入ってきて親孝行のニュアンスが変わってきた。 自由平等の思想は親を親としてあがめることすら否定するかのようである。 親孝行は愛国と並んですでに古語となってきた。 以下に述べる親不孝は現代特有のもので昔はなかったもの、5つのパターンで整理したが、勿論これだけではない。 卑劣きわまる現代の珍妙な現象についてみなさんと共に考えたいと思う次第である。
不登校
 或る日、突然のように学校へ行かなくなる。3日ほど休んで、また行くが途中で帰ってくる。 それで今度は、なだめても、すかしても行かないで自分の部屋に閉じこもり、周りのものを寄せ付けない。 親も先生も友達も困り果て、あの手この手で説得に努めることになるが、効き目はない。 やがて1年も経つと、みんなあきらめて本人自覚の時期を待つことになる。
 これが「不登校」と言われる現代特有の症状であるが、病気ではない。その数は全国で、138,000人居ると言う。 関係者はフリースクールとかメンタルフレンドなどの方法を考えて、ちやほやとその子たちのご機嫌をとりむすぶ。 カウンセラーの専門家が「絶対に叱ってはいけない」と言う。 しかし、見るからに「甘ったれ」以外のなにものでもない。
 原因は容易に想像がつく、結局、3歳児のときから受けた盲愛のため、我慢することができないのであり、 とにかく精神的に弱々しく中学生になっても自分が社会の一員であり、 家庭の重要な一員であることには考えが及ばず、すべてが自分本位であることである。
 このことは以下「列伝」として述べるすべての親不孝に共通している原因であり、 なるほど腫れ物にさわるような育て方をした親の責任でもあり、心の教育をしない公教育のせいもあるが、 本人が明らかに悪いのであり、間違えてはいけない。
晩婚、少子
 世の中には社会常識というものがある、そして良識もある。現代の若者男女にはそれらは考えの外である。 自分の人生であるから、すべてが自分の自由であるという教育を受けたためであり、日本崩しのため、 アメリカが仕掛けたデモクラシーの恐ろしい一面である。
 自由というものは確かに重要なことである、しかしそれが自分本位にのみ考えられ、 人間の本来のつとめをなおざりにする自由が、何の反省もなく行なわれる。これが問題である。
 例えば、子供は作らないと宣言をする嫁がいるそうである。またそれを容認する家庭があるのが不思議なことである。 個人の権利、または男女同権とは何なのか、なかなか結婚をしない連中の頭の中には家庭も社会もありはしない、 親の心配もただうるさいだけ、自分のやりたいことだけが人生だと思っている。自由がわがままに変化している。
 自由平等教育のため、人生の目標とする人物像はなく、恐い人もいない。
 35才や40才にもなって、親がすすめる縁談を、余計なお世話だと言うことは、 まだ、どこかから白馬に乗って王子さまが現れるだろうと思っているのか、親不孝この上はない。 反面、そのうちのバカが未成年のうちに子供をこしらえて、これまた結局は親不孝を重ねるが、 結果的にはまだこちらの方がよい。
 少子化は言うまでもなく民族の滅亡を意味することである。 2人の子供を育ててやっと維持できることは誰にもわかっている。
 独身主義、晩婚、結局は自由平等の思想からはじまった若者たちのわがままが民族を滅亡させることになる。
姥捨て
 親に対する感謝の心がなく、老いた親を用済みの不要物、或いは厄介者として扱うと言う罰当たり行為が行なわれている。 実の親を老人施設へ預けたまま、2年も経つのに一度も面会に来ない、と言う話をきいたことがある。
 そして、いま農山村は殆んど老人ばかりが暮らしている。まるで姥捨て山の情景である。 八十才を過ぎての一人暮らしも多い。殆んど放置の状態である。
 また「夫の親をなぜ私が看なければならないの?」と、どうしても納得できない嫁がいる。 せっせと毎朝、ウオーキングに精出す舅に「お父さん、まだ生きるつもりなのでしょうか」 と、つい陰口を言う嫁は正直で笑わせる。
 この女性たちは親の弱点を知らないと思う。ほんの少しでも誠意のある親孝行をすれば、親はまことに簡単におちる。 大方の親は難しそうでも単純であり、我が子や嫁のやさしさが見えるとき、すぐに喜ぶものなのである。
 もともと日本の人々は人情があつくて浪花節などに感動する人が多く、そのような寒々としたものではなかったはずである。 これは極端な自分本位、浪花節などはバカにする高慢な人心、 利己主義をはずかしいこととも思わない現代社会の風潮が原因であり、 心の教育を怠った公教育に端を発していると思うのである。
引きこもり、家庭内暴力
 これは「不登校」の延長であり、社会人になっても不登校的行為をつづけることである。 ここまでくれば精神異常である。なかに絵を書いたり、詩を書いたりするものが居るが、 年齢に比し考えがまったく幼稚であることがわかる。
 毎日毎日、長い時間なにを考えているのかわからない。そしてあろうことか、 だんだんと親に対して暴力を振るうようになる。
 その行為は暴君であるが、正体は小心で精神力が弱いのである。
 親は自分がして来た子育ての間違いに気づき、おろおろと後悔して自分をさいなむ。 それは親の愚かしさを重ねることであり、ますますその子供を増長させることである。 これはもはや親が悪いのではない。明らかに本人が悪いのである。
 昔、拳銃で親に歯向かう早撃ち自慢の息子を、父親が拳銃で撃ち殺す西部劇を見たことがあるが、 社会悪になるまでに自分の責任でケリをつけるのは、大変な悲しいことではある。 しかし、さすが父親、立派であると思った記憶がある。
市中金融
 午前中から満車の駐車場は病院とパチンコ屋である。病院はともかく、パチンコにはバカしか行かない。 そこは日本国の滅亡を垣間見る思いである。
 現代はどうしてこうもバカが多いのか、まずよくその時間があるものだと不思議に思うところである。 もともとストレスが起きるほど仕事もしないのに、なにがストレス解消か、言い訳無用のことである。
 軍資金には限りがあり、それでだんだんと親のわずかの年金をせびりはじめる。 そしてそのうち市中金融とのつきあいとなり、泥沼に入って行くのである。
 また、稼ぎもないのによい車が欲しい。我慢ができない。購入は簡単だから分不相応の車を無理して買う。 そうして遊びの範囲は広がり、消費ばかりで稼ぎが追いつかない。市中金融とのつきあいが始まる。
 大した用もないのに車を乗り回す、そのうち交通事故を起こして人生は一機に暗転する。 親は子孫の幸せを願い一生をかけて築いた財産を、このようなことで費消するのはやりきれないが仕方がない。
 市中金融が悪いのではない。いい年をして自分を制御できないのは、すでに病的であり、 究極の親不孝と言うべきであろう。事実とは思えないほどバカなことが行なわれる現代、 なぜこう言うことになるのか、読者諸賢にその原因についてお考えをいただきたいと思うところである。
 以上述べてきた親不孝は5つの例であるが、これらを懲せず、放置する現代社会はまことに寛大である。 何をやろうが個人の自由、とすべて自分本位に行動する子供たちは公教育の間違いから始まったのであり、 そしてそれを許す社会が増長させたのである。
 しかし、これがそれほど多い事例とは思いたくない。勿論、ほんの一部のバカモノが目立つだけであろう。 日本人はそれほどバカばかりではないはず。昔から何度もピンチを乗り越えてきた素晴らしい日本であり、 すばらしい大和民族であることを信じたい。
 父祖先輩、或いは靖国から「貴様ら、まったくたるんどる! 日本人全員の連帯責任!」と声がかかりそうである。
ページトップへ
【文責】 宮池 誠文
住所 〒720-1622 神石郡油木町大字近田835
tel 08478-2-2121
e-mail yosifumi@zoysian.co.jp
Copyright(c) 2000-2003 bingo e shotengai. All Rights Reserved.