高校生の男女交際
平成14年4月24日
桃  テレビの影響でしょうか、恐い者の居ないせいでしょうか、高校生の男女交際は、 すでに一般化して文句を言う方が変わっていると言われるような現状であります。 公然と高校生の男女が腕を組み合い、ふざけながら街を歩く姿を見て、読者のみなさんは、どうお考えでしょうか。
なるほど、その情景は近代的かも知れませんが、私には現代の頽廃した日本を象徴しているように思われてなりません。
もともと将来の結婚を前提にした男女交際は、周囲に祝福されてあるべきが本来の姿であり、 いかに自由とは言え、またいかに人権尊重の理屈を並べても、後述するように高校生の段階では、 未熟のままに行われている人生の重大事であることに間違いはなく、とても微笑ましい行為とは思えません。


 筆者は70才でありますが、確かに高校時代もあり、同じような男女交際もありました。 今のように一般的な行為ではなく、それは大秘密でもあり、 当然ですが生涯の伴侶を想定しての真剣そのものの交際でありましたし、 そして勿論プラトニック、ラブの域を脱することはありませんでした。
恋情は自然的に発生するもので、これは防ぎようがありません。 しかし人間は良識を以てその発露を制御する生き物です。 時には、そのために奮起して勉学に励むこともあれば、 また時には、その逆にすべてを投げ出して人生を狂わせることもあるのです。
いづれにしても、避けて通れない道程にあることで、私には高校生の恋愛そのものを否定することはできません。 言いたいのは「恋を恋する年代」に発生する恋愛に似た恋愛ゴッコという遊びのことを指摘しているのです。


 私の場合も、16才〜18才の年代を振り返るとき、社会常識と言うものは殆ど0に近い状態であり、 人生のことを語りながらも人生のなんたるかを知らず、すべて解ったようなつもりが、 いま思えば冷や汗の出るほどに傲慢な、ひとりよがりのはずかしい行為であったことに思い至ります。
況や、現在の高校生に、あの時代以上の社会常識が備わって居るとは考えられません。
親に大事に大事に育てられ、赤ん坊のときから惨々心配をかけたことは忘れ、 親には関係なく自由気ままの行動は、人間として果たしてすべてが許されるものなのでしょうか。
そして第一、当の高校生の親はどう思って見ているのでしょうか。


 最近の高校は一時代前とは違い学力の低い状態が続いて居ります。 また、学力だけでなく社会的常識も想像以上に幼稚で、中には勤労意欲さえない子も居り、 ただ身体だけが栄養が行き届いて早熟的に成長して居り、前述のような一人前のカップル然とした光景を目撃するとき、 手の施しようもない思いで私どもを暗然とさせるのです。
加えて週5日制が施行されることは、勉学を怠ける習慣を助長することそのものであり、 また、今頃なぜ、アメリカで一度失敗した「ゆとり教育」が提唱されるのでしょう。
平和に馴れて、すべてが、だらけきっているのは日本だけと思うのは私だけでしょうか?
とにかく、現今の社会生活は豊かさに恵まれ過ぎて居り、男女交際全般のモラルの低下とともに、 高校生のそれは、所謂、平和ボケの所産であることは言うまでもありません。


 若者の多くは「結婚を考えているわけではない」と言います。 とすればなおのこと或る種の危険が伴うことは明らかで、お互いが相手の手ごろの玩具となっていることになります。 いずれの場合も男女交際の限度は、あくまで本人の自覚に俟つしかありません。
世間では「あの子の親の顔が見てみたい」などとよく言います。親に責任があると言うことなのです。 大学入学式や、甚だしくは成人式にまでついて行くほど心配している親が、なんと言う筋違いの教育をしているのでしょう。
まったく、その自覚は親や教師が指導するしか方法がないことです。 そして、その自覚の内容を具体的に示す必要があります。
とにかく最近の高校生の男女交際の行動は、臆面もなく行われ、次第にエキサイトしているようにも見受けられます。 とくにかえって女子生徒に積極性が強いのは驚きであります。


 「男は男らしく」「女は女らしく」自己のあるべき姿を追い求めるこころは、いつの時代にも正常であり、 それが正統な精神であると信じます。
ところが男らしく、女らしくと言うこと自体、理解されて居ないことが底流にあり、 これは「誇りのないものが恥を知らない」のと同じ意味で、根源の問題であります。
高校野球の選手のいがぐり頭を見ると、まことに男の子らしくて、ほっとする思いがいたしますが、 みなさんは如何お思いでしょう?
「頭をなでるひまがあったら本を読め!」と言われた昔に変わり、男女ともおめかしをして学校へ行きます。 中にはテレビから出てきたばかりのようなのも居ります。
再度申しますが、親はどう思って見ているのでしょう。


 私の年代すなわち昭和一桁生まれは「立派な日本人たれ!」としての教育を受けた最後の日本人ではないかと思って居ります。 ハングリーな時代でした。それぞれの人生は例外なく大奮闘であり、豊かさを求め続けて現代日本の基礎を築いた人々であります。
その追い求めた豊かさの結果に、このような答えが出ようとは思っても見なかったことであります。
この地方の諺に「親辛抱、子楽、孫べえとう(乞食)」と言われますが、いまの高校生は、私どもの孫に当たります。 孫は祖父をたとえ大好きでも、やはり別世界の生き物のようなとらえ方をします。 昔の話は、あまりにも落差が大きくて話しても理解はありません。
昔、祖国を守るため、世界一の勇敢さを以て戦った日本陸海軍の兵士たちや、特攻隊の話も豊かさの中でだんだんと忘れられ、 国民の心の中に、ひいてはわが国の将来について、何の肥やしにもなっていない現状は、日本国政府の重大な責任であり、 また豊かさの中で腐りかけている日本国民の連帯責任であると強く思う次第であります。
また、このたびも総理大臣が靖国神社へ参拝したことについて、なぜ中国や韓国が干渉するのでしょう。 まったくバカにしたことではありませんか。そして、それについてなぜ言い訳をしなければならないのでしょうか。
お互いに国情を認めない友好は、真の友好ではありません。これは日本国政府が毅然としない限り、いつまでも繰り返すことでしょう。
ここにも「誇りのないものは恥を知らない」と言う昔の日本人の努力を忘れたことによる根源があるのです。


 親がわるい、教師がわるい、国民がわるい。
すでに軟弱化した高校生は、その親を写した鏡ではないでしょうか。
「昔の話など聞きたくもない」態度には「話したくない」となり、結局は途切れてしまい、 もし爺ちゃんが死んだら、話すものは誰も居なくなります。
私は、いま真摯に話を聞いてくれる高校生をさがして居るところです。
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