庄原市
庄原市は、県内有数の遺跡密集地であり、推定1,500年〜1,200年前の古墳が約2,000基と、 古代製鉄の遺跡が散見される。地名の由来は、大化の改新後、律令政治が衰退し、 代わって台頭してきた私有地の荘園の名残「荘(庄)家=荘園事務所=のある原」からきているとされる。 正和5年(1316)に鎌倉より下ってきた山内通資が、文和4年(1355)、 甲山城(現在の庄原市西部)に移住し、恵蘇、三上郡に一部に勢力を張る。 その後、毛利氏、尼子氏、大内氏などの諸豪族の争覇時代を経て、江戸以降は福島氏、浅野氏が治めた。
巨石群の葦嶽山
葦嶽山は標高815mで、どの方向からも三角形に見える山容と、 古代遺跡を思わせる巨石群が神秘的な謎とされています。 昔から神武天皇陵との言い伝えがあり、大正初期には財宝が隠されているとの噂が立ち、 大勢の人が押しかけ石柱を倒して探し回るという騒動がありました。 昭和9年(1934)、ピラミッド研究家・酒井勝軍が調査に入り、 山頂から太陽石とそれを取り巻く磐境(いわさか=ストーンサークル)を発掘し、 葦獄山は世界最古のピラミッド本殿で、北側の鬼叫山(800m)が拝殿だと発表。 その後もUFO飛来地との噂が持ち上がるなど話題は尽きず、訪れる人たちに夢とロマンを与えています。 葦嶽山
山内逆断層
庄原地方には、新生代新第三紀の地層が分布していますが、 この地方で所々露頭している逆断層は洪積期の形成です。 中国山地や瀬戸内海の成り立ちも、この時期の地核運動と密接な関係があると考えられています。 国の天然記念物の指定地となっている市内山内町の逆断層帯は、その露頭が最も顕著な場所です。 断層の地質から当時の気候を知ることができます。自分なりにまとめたものを発表しませんか?
蘇羅比古神社の大杉
市内本村町にある蘇羅比古神社は、約1,450年前の継体天皇の頃の創建と伝えられています。 神社参道の杉並木のうち、随神門の側にある左右2本の大杉は県の天然記念物です。 遠目にも圧倒的な迫力があり、それぞれ胸高周囲は5.5mと5.2m。 この杉は神社創建当時すでに群生していたものと推定され、県内屈指の巨木として知られます。 枯れずに現在も残っている理由を探してみませんか?
山内逆断層 蘇羅比古神社の大杉
円通寺と日吉神社所蔵の国重文
甲山城址南中腹にある円通寺の本堂と厨子1基は国重文。 画僧・雪舟作と伝わる本堂天井画の龍は、夜な夜な水を呑みに村里に出没するので、 雪舟が龍の目に釘を打ち込み鎮めたとの逸話が残ります。 町の西端にある日吉神社は、国重文の赤糸縅鎧兜を所蔵します。 威糸(おどしいと)の茜染めは、400年の時を経てなお燃え立つような赤色を留め、 日本工芸品の粋と絶賛される室町時代大鎧の優秀品です。 重要文化財の品々をまとめて紹介してはどうでしょうか?
庄原田園文化センター
平成元年10月にオープンした「庄原田園文化センター」は、 「図書館」「歴史民俗資料館」「倉田百三文学館」「多目的ホール」のある複合施設として誕生したものです。 「歴史民俗資料館」には、庄原クジラの化石などを展示。 発掘状態のよいクジラの化石は、昭和56年(1981)に市内から出土、 この地が古瀬戸内海の北岸だったことを証明しています。 また、「倉田百三文学館」は、庄原が生んだ文豪の著書をはじめ、 原稿、往復書簡、代表作の戯曲「出家とその弟子」を絶賛したロマン・ロランの手紙など、 約400点が展示されています。 今では信じられない海の地だった庄原。大昔の地形から多数の文化人まで庄原を多くの人に知ってもらいませんか? 庄原田園文化センター
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