上下町
 上下町は縄文、弥生時代の集落の遺構などが多く、昭和54年(1979)から55年(1980)の調査により、 円墳、横穴式石室など120基の古墳が確認されている。 地名の起源は山陽側の芦田川と山陰側の江の川の分水嶺の地であることに由来すると考えられるが、 古くは「城下」とも記されているように、徳川時代は浅野、水野両藩が分治していた。 水野氏断絶後は徳川幕府の天領になり代官所が置かれ、一部は中津奥平藩の所領となったものの、 備後、備中5万石を管轄した。
 吉備高原に属する平均海抜460mの高地にあり、面積85.53平方キロメートル、人口は約6,800人。 北の竜王山(768m)、南の岳山(738m)などの山々が、起伏に富んだ急峻な地形をなし、 日本海に注ぐ江の川水系の上下川と、瀬戸内海に注ぐ芦田川水系の矢多田河の2河川があり、 陰陽の分水嶺の地にあたります。
 かつては幕府の天領であり、石州街道の宿場町として賑わい、 石見銀山の銀の集積中継地として栄えてきただけに、今も上下の町並みには史跡、文化財があふれています。 県史跡の代官所跡、うだつや虫篭窓のある旧郷宿跡、江戸時代の両替商で造り酒屋にも利用された旧田辺邸、 明治時代の財閥角倉家の蔵だった上下キリスト教会、当時の見張り櫓をそのまま残す旧警察署、 文豪田山花袋の「布団」のモデル岡田美和代の生家旧岡田邸、大正時代の芝居小屋「翁座」など、 今も江戸、明治、大正時代の面影を色濃く漂わせる貴重な建物が多く残り、町は丸ごと歴史博物館のようです。
カタクリの自生地
 宇根と河井両地区では全国的にも最近めっきり自生地の少なくなったカタクリが、 地域の人々の熱心な保護により、早春の山腹に可憐なピンクの花を咲かせます。
 4月上旬の開花時期に合わせて、地元婦人たちが中心になって、 特産の味覚でもてなす「かたくりまつり」が開催されます。 カタクリ保存の苦労を公開してみませんか?
カタクリの自生地
岩海のある岳山
町の南端の高峰岳山は標高739m。 府中市との境界に位置し、暖地性、北地性の多種の植物が自生しています。 花崗岩が尾根から谷にそって幾筋も押し出された岩海が形成されており、 その巨礫の表面に着生する県内随一の食用地衣イワタケの群生地として知られ、 昭和52年(1977)に県自然環境保全地域に指定されています。 「岩海とはなにか?」「岩海はどのようにしてできたか」など、岩海を広く知らせてみませんか? 矢野の岩海
天領上下代官所跡と鶯張り廊下で知られる善昌寺
 天領陣屋跡の石碑の立つ上下町役場は元禄13年(1700)より幕末まで存続した代官所跡です。 往時の石垣を残しており、昭和16年(1941)に県史跡の指定を受けています。
 役場からほど近い翁山の麓にあり、瀬戸内三十三観音三十番札所として 参拝者が多い善昌寺は鎌倉時代の座禅堂が現存し、伽藍復興時に造られた鶯張りの廊下が有名です。 みなさんも「鶯張りの廊下」をご存知でしたか?
天領上下代官所跡
白壁と格子窓の町並み  「見どころ」上下町へ
かつて幕府の天領であり、山陰と山陽を結ぶ石州街道の宿場町として栄えてきた上下の町並みは、 江戸時代から昭和初期ごろまでの面影を色濃く残しています。 白壁となまこ壁の続く目抜き通りでひときわ異彩を放ち、県文化百選にえらばれているのが、 土蔵造りに展望やぐらと十字架を乗せた上下キリスト教会。 同じ通りには見張り櫓を持つ旧警察署の建物も残っていて、ともに町のシンボルになっています。 格子戸や格子窓の旧街道筋、うだつや虫籠窓の残る旧郷宿跡、 板壁に囲まれた裏路地にいたるまで町は歴史的景観が保全されていて、テレビ番組が取り上げ、 30数年ぶりに復活した芝居小屋の「翁座」など、特徴ある建物が点在しています。 あたかもタイムスリップしたような建物を広く知ってもらいませんか?
矢野温泉とあやめ園
 豊成法師により約790年前に発見されたと伝わる矢野温泉は、 全国でも有数の放射線ラジウム泉で、昭和47年(1972)、国民保養温泉地に指定されています。 現在、3軒の旅館、ヘルスセンター「あやめ荘」「自然の森MGユースホステル」があります。 近年のボーリングにより30度の湯が毎分200リットル自噴するようになり、活況を呈しています。
 また、「矢野温泉あやめ園」は別名「あやめ寺」として知られる安福寺に発祥するもので、 450種類10数万本の花菖蒲が咲き競う6月上旬から下旬まで「あやめまつり」が開催されます。 町では、矢野温泉から国天然記念物の矢野岩海を含む一帯に、新あやめ園、もみじ公園、桜園などを配して、 新たな活性化の柱となる観光開発整備を進め、本年6月に「矢野温泉公園四季の里」として新たに開園します。 「あやめまつり」に参加してふるさとの良さを再発見しませんか?
安福寺
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